どうしてその場を「遺跡」としか見られない研究者が多いのか。
「空間」として捉えればいろいろ広がる。
「遺跡のある空間」、「空間の中の遺跡」ではダメなのか?
「遺跡」だけで、考古学だけで考えるから狭くなる。
狭いなかで無理矢理人との繋がりを説明しようとするから無理が生じる。
狭くなるから窮屈で人が離れる。
見えているものが目に入らない。
「空間」だから、多次元だから多価値だから人とその場の繋がりも多岐だ。
「空間」と個人を繋げるものは、その場における直接体験とその記憶。
それはその人のパーソナル・ヒストリーであり、それはその人の尊厳でもある。
これこそが愛護・保護の原動力ではないのか。
ワークショップは直接体験により「場」や「モノ」と個人を繋げるためにやっているのではないのか。
時制論はそのあとだろう。
