お久しぶりの投稿になります。
膵臓ガンで闘病していた夫は、
5月の始めの私の誕生日に、
短いながらも太く生きた65年の
人生を終えました。
最期の2週間は、
治療が出来ない状態に
なったら、
病院にはいたくないという
彼の希望を叶え、
自宅での看取りを決断し、
リビングにベットを置き、
趣味で育てた蘭に囲まれ、
家族の気配を感じながら、
過ごしました。
亡くなる前日まで、
声は出にくいものの、
きちんと話すことも出来ましたし、
たいした話をしたわけでは
ないけれど、
近くにいることで、
私たちも安心感に
包まれていました。
痛みに耐える姿を見るのは、
かなり辛かったので、
亡くなる=痛みから解放され
楽になるのだという気持ち。
一方では、
彼という人間が、
この世からいなくなってしまう
この現実をどう受け止めたら
良いのかわからない気持ち。
この二つが入り乱れては
いましたが、
無事に、彼を
「頑張ったね。」と
新しい世界に送り出すことが
出来ました。
「いつも一緒。ずっと一緒。」
彼がガン宣告された日から、
言ってきた言葉通り、
一緒に過ごし、
最後の瞬間も家族で
看取りが出来たことは
最高の幸せでした。
彼は無言ですうっと、
旅立ちましたが、
私の最後の言葉は、
「また、会おうね。」
その時は、
出会った頃の私と彼の年齢に
戻ったような錯覚さえ、
私には起きていましたから。
三七日が過ぎ、
現実の忙しさが少し
落ち着きました。
それに伴って、
一人の時間に号泣することも
ありますが、
看取ったからでしょうか、
彼は私の心の中で
生きているのだと、
感じています。
夫ガンの宣告から、
今までの毎日のことを
リアルタイムで
ブログに綴ることは、
出来ませんでした。
熟年の倦怠感に
包まれていたであろう
それ以前の私の気持ちの変化や、
ガン患者となった夫を
支えたり、支えられた出来事、
看取りを自宅でしようと
決意するまでの気持ちなどを、
これから、不定期ですが、
少しづつ綴ってゆきます。
私の誕生日を、
最期の日に選んでくれたこと、
最高のプレゼントとして、
受け取ります。
