関東大会の県予選が終わりました。
思い起こすのは1年前。
1試合1試合が熱戦で
感動で
12月の関東大会は
夢のような時間で
みんなに感謝でした。
でも
いつからだったのか
監督と私の胸の中に
小さな小さな石ころみたいなものが生まれ
それが段々と大きく重たくなりました。
この3年間に色々なことがあったの。
ごめんね、ここでは全部は話せないけど
本当に本当につらくなるような「大人の事情」みたいなものに
何度となく打ちのめされました。
でも
なんとか乗り越えてきました。
監督と
当時の役員さんと
一丸となって
それはただ
フレンズを守るために・・・
多分、その頃からちいさな石ころみたいなものが
できたのかもしれません。
今年度、フレンズは川崎地区連盟から脱退することにしました。
みんなには3月に話があったと思います。
脱退した「理由」について
色々噂を耳にしました。
ま
想定の範囲内でしたが
なかには本当に残念な噂や
びっくりするような噂もありました。
それは
想定外でした
石ころが大きくなり始めたのは
去年の夏あたりだったかな。
ある小学生が体験にやってきました。
一年前から「来年になったらミニバスを始める」と決めて
HPを見たり、地区の交歓会も見に行ったりして・・・
練習の時間や通える距離などもふまえ家族で話し合い・・・
高津に入りたい!と思ってくれたそうです。
で
体験にきてくれました。
でも
その小学生の通う学校は高津フレンズの主体校でも近隣校でもなく
隣の学区でした。
その小学生が入れるチームは
地区のルールでは決まっているわけです。
それはフレンズではありません・・・
期待とやる気に満ち溢れたキラキラしたその子に
「うちのチームにはいれてあげることができない」と説明しなければならなかった時の
胸の奥のなんともいえない苦しい気持ち。
誰が悪いわけでもなく
やり場のない気持ち・・・
・・・すっきりしない。
自分が入りたいチームを
どうして自分で決めることができないのだろう?って。
話は変わりますが
監督が川崎市で一番最初に県に登録したの知っていた?
当時は川崎市では連盟が作れなかったので(チーム数が少ないからね)
横浜北部に入れてもらったそうです。
で
次第にチーム数が増え、川崎市の地区連盟が発足しました。
監督が初めて県登録したのが2001年。
いろいろなことがありました。
でも
大切なことを大切にしながら
これからも高津フレンズであり続けたい。
それが監督の願いです。
バスケットボールを好きになってほしい
バスケットの楽しさを伝えていきたい
たくさんの感動を
たくさんの経験をして
たくさんの笑顔を増やしたい。
いろいろな方の意見があると思います。
批判もあるだろうし
不満を感じる方ももちろんいらっしゃるとわかっています。
この理由をブログに書く理由があるのかどうか・・・
でも
書くことにしたの。
フレンズのみんながいつも本当に頑張っていて
その笑顔に
その涙に
いつもいつも勇気をもらって
いろんな思いをみんなもしたし
もしかしたら
辛かったり
悔しかったり
本当はたくさん思っていて
だからちゃんと理由として残しておくことにしたの。
フレンズのみんなの笑顔は
私の宝物だよ・・・
これからもずっと・・・