これができたらなんでもいけちゃうっていうくらい大事なことなんじゃないかと思う

一部抜粋

ほんのすこーし、すこーしすこーーーーーしでも

「動けない感」や
「モヤモヤ感」や
「なんか違う感」や
「迷い・不安」や
「自己嫌悪」や
「今の自分否定」

がある願望は、


ぜーーーーーーーーーーーーんぶ、

”あなた”が望んでいること
ではなく

”あなたの中にいる誰か”が望んでいること。



人に嫌われたくない誰かや
両親にごめんなさいを言い続けている誰かがね。


そういうのはもうね、抱かなくて
いいんだよってこと。





例えば、

・お金を稼ぎたい

と思っている人がいたとしましょう。

その人は

『お金を稼ぎたい』と思えば思うほど、

心が窮屈に、
今の自分が惨めに、
何をすればいいかわからなくなり、
行動も思考も止まってしまう。


本来、願うことと祈ることは似ている。
それは自分をとてもシンプルにしてくれるもののはずなのに、
全くそうならない。


だとしたら、この場合それは本音じゃないってことだし、
純度が低い願い(ただの価値観やルール)だ、ってことです。


・稼ぎたい

んじゃなくて

・稼がないといけない

んです。



稼ぎたい、じゃなくて、
稼げるようになることで、何か自分の罪をつぐないたいんです。

それって、ほんとうにあなたの願いなの?ってはなし。

引用終わり

 

「それはあなたの在り方ですか?」
って言葉になるかなぁ。

 

本物の願いなら叶う。
本物かどうかは、純度の高さなんだと思う。

 

願いですらないのかも、当たり前に思うようなものなのかも。

 

そんな感じがした。


私はよく、親方に言うんだけど

「本当に欲しいものにまっすぐ手を伸ばせ!」

 

それって純度の高い本音なんだよね。

まぁ違ったら感覚的にすぐわかるし。

 

なので、見せかけだけのものじゃなくて

あなたの本音。

 

「本当に欲しいものにまっすぐ手を伸ばせ!」