※これは自己満であって深い意味はありません。


3にもなると自分の立場、地位というものがある程度確立されるわけで、やっぱりお笑いキャラ的なポジションにはいたと思う。


人を笑わせることは嫌いじゃなかったし、楽しかった。というより人を楽しませる。共有してもらいたいという気持ちが強くなった。


そういう立ち位置に着くと、役職というのが与えられる。

体育祭では委員長として選手宣誓もした。

まぁ、800m走で肉離れし病院送りになるんだけどね。笑

運がないとかそういう次元じゃなく、そういう星の元に生まれてるんだなと思った。

正直、人前でカッコつけようとする癖があるのだが(というよりこうすればかっこいいんじゃないかと思って行動する)、結果的にはダサくなるというかツッコミにくいやらかしをすることがこの頃から多かった。

今思えばそういうものをいじってもらえれば美味しいとも思えるのだが、当時にやられると普通に怒ってたかもしれないとも思う。笑


中学3年生にもなると進路についても考える時期になる。この頃から芸人になりたいという気持ちはあったので周りには言っていたと思う。

実際、修学旅行ではオードリーを模倣した漫才(台本は自分で作ったが)


文化祭では劇場レッドシアターでしていた劇団ジョセフィーヌ(役はもちろん、はんにゃ金田扮するジョセフィーヌ)をやっていた。

人前に出ることはもちろん、人を楽しませるということが、楽しくて仕方なかった。

ただいま思うと、それは内輪でウケているのであって実評価とは比例しないということを認識しておくべきだったとは思う。

それでもこの時は、芸人なるためのプロセスを考えることだけでも楽しかった。


中学まではそこそこ人気者の立ち位置いたとは思っているが、今俯瞰して思うと『痛いヤツ』という評価が妥当ではないのかと思う。

(今、こうして自分語りしている時点で『痛いヤツ』であることは置いておいて)


その中途半端な立場が高校でももちろん通用するわけなく、高校で少しずつ変化していくことになる。

詳しくは次回語ることになるが、オタク気質になったのも高校生になってからで広く浅く、好きなものは深く知識をつけるということを覚えていくのである。


ただ、この時の人付き合いの仕方も変化していて一定のメンバー(いわゆる、いつメン)とばかり交わることが減り、いろんな人と絡むようになってくる。

(3の最後の方は野球部ではなく剣道部といることが多かった。)

関わるメンバーを固定したくないというのもあったが、1番はこの先、一生関わる可能性が少ないのであれば出来る限り多くの人間と会話した方が良いと思っていたからである。

それは知識的な面はもちろん、人と関わることで多くの考え方を学ぶことができると思ったからである。だから高校選びの時は同じ中学の人が少ないところを選んだ。(これに関しては最良の選択だったと思う)

この時には既に人を嫌うということは少なくなっていた。


中学の3年間は自分の在り方、自分という人間はどうあるべきなのかということを考えされた。

とは言っても軽口や悪ノリは治らない部分もあったのだが。笑


ただ一つ、人を楽しませたいという気持ちに変わりはなかった。

そして、新たな気持ちを持って高校生活を迎えることになるのだが、自分の人生において1番のターニングポイントを迎えることとなる。


次回へ続く。