※これは自己満であって深い意味はありません。


春爛漫。北海道の春はまだ少し雪が残り、周りの木々も閑散とした状態で迎える。

中学生になった私は多くの経験をすることとなる。


1年生、右も左もわからない状態で何をしたらいいのかわからない。もちろん小学校から一緒だった人や中学から一緒になる人もいる。

でもその頃の私は怖いもの知らずというか仲良くない雰囲気が好きじゃないこともあっていろんな人に声をかけた。(今思えば引くレベルの絡み方だったなぁ笑)


自分がいたクラスはお世辞にも目立つタイプが多いクラスではなかった。そうすると必然的に私が目立つ位置にくる。これがよくなかった。

単純な話で注目をされることの少ない人間は注目を浴びると単純に調子に乗ってしまう。

周りが見えなくなってしまう。自分が面白ければそれで良いと感じてしまう。

今思えば自分勝手、自分よがりなことをしていたと思う。何があっても周りが悪い。自分は悪くないと思っていた時期でもあった。


中学からは野球部にはいった。え?サッカー部じゃないのって?

正直な話をすると全道優勝した後個人的な話だがサッカーに対するモチベーションが低くなっていたことは事実だった。

中学からは別のことをしたい。単純にそれだけで野球部に決めた。


小学生と中学生はやっぱり異なるもので人気の出る人とそうでない人、いわゆるカーストというのがよりはっきりと出てきた。

中学でいうと男子はサッカー、野球。この辺りはやっぱり強かったと思う。


このカーストが少しややこしい。サッカーと野球部は外面は仲が良くても、中身としてはお互いに踏み込まない領域にあったのだ。

個人的にはサッカー部にも仲の良かった私はサッカー部の人とも遊ぶことがあった。

そんなある時、私は事前にサッカー部と遊ぶ約束をしていて野球部と遊ぶ約束を断ったことがあった。

その後しばらく、野球部の遊びに誘われなくなったことがあったのだ。理由は『サッカー部の方がいいんでしょ?』

当時は本当に腹が立った。関係性もあるので怒りもしなかったが、こっちにだってサッカーをしている時から仲が良かった人ぐらいいるのに、たかだか1回遊んだだけでハブられる。

意味がわからないというより、そういう人間なんだなと感じた。そこからは仲は良かったもののやっぱりどこか距離感ができるようになった。


そういうこともあり、人間関係の作り方に不安というか疑念を持つようになって自分から話しかけるということが少なくなった。

というかメリットがないように感じた。

ある意味今の自分を作る基礎的な部分にもなった出来事だったと思う。


1、中2という私というのはとにかく他人を気にしない。面白ければなんでも良いと思っていた。(多少今でもあるが笑

他人が傷つこうが面白ければオッケーなんだと思っていた部分が少なからずあった。

しかし、そう言った行為が自分の価値を下げる。人として面白みのない人間にしていくなんて思ってもなかった。


ただ、2008年の年末M-1グランプリにて衝撃的な出会いをする。

オードリーだ。

今でも好きな芸能人と言われればオードリーは間違いなく上がってくる。おもしいというかインパクトが凄かった。

特に若林さんは人見知りということもあって今までいたタイプの芸人さんとは違うように感じた。実際、若林さんの本を読むと分析力というか物事を冷静に判断する能力に長けているように感じた。そのオードリーの漫才をみて初めて自分が面白いと思うことを押し付けるのではなく、共有していくべきなんだと思った。


2の時は関わり方を考えることも多く、一時期野球部を辞めようと考えた時期もあった。

前述したことがトリガーではあったが、そもそも野球部にあった団体性というか集団行動を求められることに対しての疑念があった。

もちろん野球部の人が嫌いとかそういうことではなく、意見に同調しないといけないという考えに納得がいかなくなっていた。

だから泊まりをする時もそういう圧が少ないメンバーが多かったし、意図的にそう選んでいた。(今だから言うけど笑)


そんな時、野球部の1人とこんな会話をしたことがあった。


『嫌いとか思わないの?』

『別に思わないなぁ』

『うっとしいとか思わないの?』

『思わないことはないけど、関わらなければなんも思わなくない?笑』


ある意味衝撃だった。確かにそうだ。と

嫌いと思うことが1番エネルギーを使うに良い気分になれない。ほんとすごい人だなと思った。

ただこの時はなんとなくしか思っておらず、この言葉の意味を理解するのは高校2年の1月を過ぎた頃になる。

ただ、この時に言われた言葉には感謝しているし今でも大切に思っている。(当人はそんなこと覚えていないだろうけど笑)


自分とって大きな出会いや経験を通して中3そして高校生へとなっていくのである。

(この後、最大の病み期(個人的には痛い時期)がくることはこの時は思いもしていなかった。)