サンド伊達さんのブログ、拝見しました。


このブログの中で心に沁みたのが
『前を向く事も大事だけど、振り返って待つ事もしないと』
という言葉。


こんなことを書くと、炎上してしまうかな…。

誰かを励ます時に
「止まない雨はない」
「明けない夜はない」
と仰る方、たまにいらっしゃいますけれど。

個人的な感覚というか、偏った考えかもしれませんが、こと災害時に関してはそぐわないような気がします。


甚大な被害に見舞われ、大切な存在を喪う。
その哀しみは計り知れず。
それに加えて遣り切れない怒り、後悔、無力感、虚無感、絶望感…。
何年経とうとも消えることはないでしょう。
たとえ立ち直ったとしても。

なぜこんな目に遭うのか。
神も仏もないのか。
なぜあの人は生命を落とさねばならなかったのか。
なぜ自分は生き残ってしまったのか。
あの時の行動は正しかったのか。
もっと良い選択をしていたら、あの人は助かったのではないか。

どうしても自らを責めてしまい、様々に苛まれて、涙の雨に打たれ、哀しみの闇に沈んでいる時には。
陽の光が恨めしくて。
どんなに哀しくても空腹を感じる、生きている自分自身が憎らしくて。
自分を罰するように雨に打たれ、暗闇に沈んでいたいという気持ちになるのは、至って自然なことだと思うのです。

後々になれば、雨も闇も永く続くものではないと分かるけれど。
雨は止むし、夜は明ける、…言っていることは正しいのだけれど。
それは癒えるものでも、消えるものでもなくて。
自分の一部になるもの、共に在るものなのだと思います。
例えるなら、深い傷を負った後に残る瘡蓋の跡や手術痕のように。
そう思えるまではそれなりに時間がかかるし、かかる時間は人それぞれ。

だからこそ。

もしも誰かが、雨に打たれ闇に沈んでいたら。
視界の隅っこに邪魔にならないように居て。
ふと視線を上げた時に目を留められるくらいの距離に、ただ居て。
視線が上がるその時まで待ち。
目が合ったら「辛かったね」と寄り添える、そんな人になりたい。

被災しても奮起して前を向き、光を振りまいている方だって、人知れず雨に打たれ闇に沈んでいるかもしれない。
そんな想像力を忘れず、思慮深くありたいと思います。


あくまでも個人的な思いです。
(どうか炎上しませんように…)

それでは、また。