ある時、大切な5歳年下の従姉妹とお別れした。
とても穏やかだけれど、とても芯の強い女性。
一人っ子の私が初めて触れた産まれたての赤ちゃんだった彼女。
もう決して逢えないのに、無性に逢いたくなる時がある。
乳癌からの転移で脳腫瘍を患い、歩行が難しくなり、話すこと、何かを飲み込むこと、少しずつ出来ないことが増えていった。
私にはその悔しさを決して見せず、彼女の5歳の双子達への想いばかりを見せた。
最期の時、本当は「よく頑張ったね、ありがとうね。」と伝えたかった。
けれど、ひと呼吸ひと呼吸を懸命にしている彼女へ言えた言葉は「頑張って!」だった。
あんなに頑張った彼女に・・・。
これだけは、どうしても後悔してしまう。
ある時、祖母のお墓参りで訪れたお寺の住職が
「自分の時間を割いて、故人の為にお墓参りをする方々は仏様のような方だと思うのです。時間というのは、限りある命の一部であって自分の事以外に費やすという事は尊い行いですから。」
というお話をなさった。
けれど、私がお墓へ向かうのは故人の為にと言うより
そうしないと気になって落ち着かない自分の為でしかない。
心臓にステント留置をして退院した父を、実家へ送り一泊して来た帰りにスタバへ寄った。
美味しいコーヒーを飲みながら、ぼぉーっと生きるという事について考えてみた。
私は彼女のように、最期まで懸命に呼吸出来るだろうか。
住職の話すように、純粋に故人の為のお墓参りが出来るようになれるだろうか。
父のようにステントを心臓に入れ、苦しくなくなったからと好きな趣味を楽しもうと心から思えるだろうか。
果たして、これから、
「時」という名の命をどう生きるのか。
せめて、この一瞬の積み重ねが命であり、限りがあるのだという事を忘れずに過ごせる自分でいたい。

