一周忌が近づくにつれて、急に無気力になってきて自分で戸惑う日々を送っていた。
仕事は2月かり4月までは繁忙期でMAXに忙しかったが、休みの日に何もやる気がせず、最低限の家事すら放り投げて、ひたすら寝て過ごしていた。
こんなにやる気のない時期は、今まで初めてかもしれない。
いつか復活するのだろうかと漠然と不安を抱えていた日々は、ふと終わりを迎えた。
「生きることに意味なんて無い」
夫がかつて言っていた、この話を急に思い出したからだ。
そのうち書こうと思っていたエピソードについての備忘録を見たが、この強烈なパワーワードは入っていない。私自身が忘れていた話だった。
「生きている意味とか、なんでわざわざ考えないと動こうとしないとかね?」
夫がそんな話をしたのは、やはり病気になるずっと以前の話だった。
自殺率の高さや、ニートの増加のニュースを見ていたときに口にした話だったと思う。
「今やるべき事がたくさんあって、必死にやるしか無くて、それで充実している人にとっては、そんな事は考えるヒマもないからね。
そんな事を考えてしまうのは、よっぽどやる事が無くてヒマなのか、今の環境をより良いものにしたいという努力を放棄しているだけか、どちらかだよ」
夫と過ごす日々や、介護で必死だった私には、それこそ生きている意味なんて考える余地も無かった。それは間違いなかった。
夫を失ってぽっかり出来てしまった時間に、そんな事を考えてしまったのも、ある意味当然の事なのだろう。
「生きることに意味なんて、そもそも無いんだよ。わざわざ意味付けを考えたりするから、人は意味がなければやらない、という思考に陥ってしまう。
生きる事の意味なんて、考える必要はない。
考えるべきことを考え、考える必要のない事は考えるな」
ナルホド、私はどうやら考える必要のない事ばかり考えて身動きが取れなくなっていたらしい。
夫がいないのに頑張る気力が湧かない、きちんとしてもしなくても関係ないのでは、とズンズン思考が沈んでいた日々を思い出し、なんだか見通されているなあ、と苦笑気味になる。
考えたらマイナスになりがちな事を、無意識に考えてばかりいたようだ。
理解できたので、今度はそれを意識して「考えない」ようにする。
それを繰り返して、今ちょっとずつ浮上してきている感じ。
私を今でも助けてくれるのは、やっぱり夫なんだなあ、と実感する。
切なくなるけど、ありがたい。
結局私を落ち込ませるのも、浮上させるのも夫なのだ。
私は、一生夫に振り回されて生きていけば良い。