夫はハンバーグ、玉子焼き、ナポリタン、ポテトサラダなどの子どもが好きそうな料理が好きだった。

それは味覚障害でほぼ食べられなくなった。

特にハンバーグは週の半分ハンバーグでもいいと豪語するほど好きで、それが苦味しか感じないと言って食べるのを辞めたときの、夫の絶望感はいかほどだっただろう。


私は長い長い闘病生活のまだはじまりの時期、ハンバーグを次に食べられるようになったときは、必ず泣くだろうという確信があった。恐らく、そのときは癌が寛解したときか、抗がん剤の効果が無くなって化学療法をやめ、薬の副反応が薄れたときの2択しかないからだ。どちらにせよ、私は泣くだろうが、後者の場合は夫にどう声をかけられるだろうとぼんやりと思い、それ以後は「そのとき」が来ることを考えないよう頭から排除した。


化学療法を開始してから、味覚はどんどん変化し、食べられるものがダメになったり、逆にダメだったものが食べられるようになったりした。肉類は最初鶏肉だけなら食べられたが豚や牛はダメで、一年後には正反対になって鶏だけがダメになった。

だから、もしかしてハンバーグも食べられるようになる時期があると思い、数ヶ月置きにチャレンジしたが、何故かこれだけはマズいままだった。デミグラスソースは苦味が強く、ハンバーグの食感は拒絶感が強いものでしかなかったらしい。

一番好きだったものだけが全く食べられないなんて。ただでさえ闘病中の中で、食というささやかな楽しみすら取り上げられるというのは、生きるための活力をじわじわと削られるようなものだ。


夫がハンバーグを次に食べたとき、味覚障害になる前の最後に食べてから、実に3年近い月日が流れていた。

夫がハンバーグをナイフで切り、口に運ぶのをドキドキしながら見つめていた。夫は口にしたハンバーグを何度も噛み締め、最初は「熱すぎてよく分からない」と言いながら、確かめるように何回かハンバーグを口に運び、「あ、うまい」と呟いた。それから何度も「うまい」「良かった」「美味しい」と言いながら、ハンバーグをパクパク食べる。


癌が治ったパターンでこの場面を見たかったとか、抗がん剤が効かなくなったからこうなったのに良かったと言っていいのかという葛藤など、綺麗に消え失せていた。

良かったねえ、良かったねえと私はただただ繰り返し、かつての予想通り涙がこぼれた。夫が好きなもの、楽しいと思うものがどんどん制限されていった中で、久々に感じた単純な喜びの感情から来る涙だった。

「美味いんだから、お前も食えよ」と言う夫も泣いていた。2人で泣きながらハンバーグを無心で食べた。


化学療法による副反応の一つの味覚障害については、一般的な認知度がまだまだ低いと思うが、コロナの後遺症としての味覚障害が話題になる事は増えた。

これがきっかけで、味覚障害がどんなに辛いのか、もっと広まって欲しい。癌患者にとっては、生きようとする気力と体力をじわじわと削り取る、深刻な障害だ。一番酷い時期、夫は水すらマズいと言い、豆腐以外は口にできず、体重が20キロ近く落ちた。


料理人が味覚障害で苦悩するとか、育ち盛りの子どもがいるのに味が分からず料理が出来なくなる家族の悩みとかをテーマにしたドラマや漫画が出て欲しいなあ、と思う。味覚障害を経験した作家さんに是非期待したい。