♪きょ~と~、おーはらさんぜんいん
でお馴染みの三千院へ



見応えのある仏像が数々あるのだが、寺院建物内は撮影禁止の為、残念ながら画像無し

しかし、メインイベントは外にある!
お目当ては、この方々なのだ!

どのお方?

よーく見ると
そこかしこに



まるで『GOLDEN LUCKY』
…わかる人はいるのか?





あんなとこにも!

まだまだ~









…まだあるんだけど、写真の上限?でアップできなかった。

癒されまくりのスポットである
仕事でお世話になっているお客様に教えていただいたピザの店
『FANTASISTA』
びわ湖バレイ(スキー場)の麓にあるのだが、土地勘がないと、たぶん見過ごすような道を入っていく。
少し走るとお店が眼前に現れる

快晴の空の下、外の席で頂くことにする

希少な水牛のモッツァレラのマルゲリータ
『マルゲリータブッファラ』

お店の名物『プロシュット』
厚くスライスされた生ハムの肉々しさが堪らない味わい

久々に旨いピザを食す!

自家製ジンジャーエール

めちゃめちゃ近所に、こんな場所があることを知らなかった。
家から車を走らせること10分程度。
毎日の通勤路の脇道を入っていく。

『藤ヶ崎龍神』



水鳥の大群が渡る風景





川口浩の気分で洞窟に向かう
動かないサソリが襲ってくる!




この背後にある山は
『頭山』で
『九里』氏が城を築き
『龍神』が祀られています。

『頭山』
『九里』
『龍』
でググると、何とあの超々人気漫画に関連した記事がヒットします。
私自身は、その漫画に詳しくなく、他の人が関連付けている記事を偶然見つけて読んだもので、私の発見ではありませんが。

さて、作者がこの地にヒントを得たのか、偶然なのか。







先日の蕎麦屋さん記事の続き

旨い蕎麦を食した後、
いなべの梅林公園へ

梅の名所
和歌山は『みなべ』
三重県は『いなべ』
行ったことはないが『みなべ』は、もっと凄いんだろうなぁ。

新型コロナのご時世の平日にも関わらず、そこそこの人出。

天気が最高に良くて、梅が青空に映える



これはサンシュユ

梅林公園を後にして向かった先は


嫁さん曰く
『“たねや”に飽きた彦根や長浜の人達が訪れるスイーツの名店』とのこと。
“たねや”とは、滋賀県が誇る和洋菓子の名店である。“たねや”の洋菓子部門である“クラブハリエ”のバームクーヘンが有名。

こんま亭名物の“いなべのキャベツ”は、ざんねんながら大小ともに売り切れ。
“いなべのキャベツ”とは、キャベツの如くでっかいシュークリームなのだ。

“いなべのキャベツ”でググると画像が沢山出てきます。

久しぶりのお出かけは、天候にも恵まれて、少しはリフレッシュできたかな。


今、ハマっているCM

西川きよしの目力が半端なくて笑うしかない。

ちなみに私の目力は以下の通りである。
















私史上、1、2を争うオモシロ写真なのだが、ここでは全貌をお見せできないのが残念である
三重県いなべ市の
『山里乃蕎麦屋 拘留孫』
鈴鹿山系狗留孫岳が名前の由来。
お店は『拘』
山は『狗』

何気に、ふらっと行ってびっくり。
11時半オープンのお店、11時半でオーダーストップになる。(売り切れの為)
ギリギリ間に合った。

嫁さんの思い付きの訪問なのだが、このパターンはいつも私が※1: 不機嫌になるパターン
なのだが、今回はセーフ。
うーむ、さすがミシュランガイド掲載の店。

※1: 嫁さんの思い付きで予約せずに訪問して、売り切れや満席で食べられないパターン。
私は行くと決まったら、行くと決めた味の口(クチ)になってしまうため、決めたものが食べられないと『超』不機嫌になるのだ。

席数は20席ほどか?
席に付き、注文してから待つこと30分強

蕎麦ランチ
ここ数年食べた蕎麦で、一番旨かった。
『旨かった』の定義は人それぞれな上に、語る言葉も持たないので多くは語らないが、蕎麦にしろ出汁にしろ、必要以上に無駄な主張をしていないところが良い。

ここで、ビートたけしがミルクボーイに語ったという食レポの極意を思い出す。
『旨いもんを食ったら、“旨い”の一言でいいんだよ。それ以上語っちゃダメ。具体的に語ろうとして“○○が△△で”なんて言ったら、○○が△△なの嫌いな視聴者は、もうその時点で離れていっちゃう』
私の要約なので言葉は適当だが、おおよそこのような主旨のアドバイスをしてもらったらしい。

似顔絵通りの店主さん

11時30分オープンで
11時30分には、この掛札

農家を改装したお店

予約必須の店です。


高校野球春の選抜、本日時点では無観客開催の方針を打ち出し、最終決定は11日との報道である。
本日の発表に対する世論を一週間様子を見ようということなのだろう。
この決定に対する私見は述べない。コメントも求めない。

ちなみに、野球以外の競技でも、この時期全国高校選抜大会が開催されるのだが、全て(だと思う)開催中止になっている。その数は23競技に及ぶ。

この1週間、世論がどのような反応を示すのか。興味深く観察してみたい。

最近ブログを更新できていない理由の1つに、インターネットで衆議院中継、今週から参議院中継を、ずっと観たり聴いたりしている事があるのだが、ニュースやワイドショーだけではわからない重要な出来事が沢山語られている。

日本に住んでいる以上、好む好まざるに関わらず、あの場にいる人たちの意志決定によって人生が左右されるのだ。
その事を考えると、もっと多くの人が国会中継を観た方がよいと思うのだが…




ご無沙汰です。

ガロ
『学生街の喫茶店』位しか知らなかったのだが、
こんな曲があるとは知らなかった
なんとプログレッシブな!

ダイアモンド ユカイがパーソナリティーのラジオ番組(NHK『すっぴん』)で流れていたのだが、久々にスコーンと心に響く曲と出会った気分である。

父が急逝し、ブログを書く心持ちになれなかったのだが、またボチボチ書いていきます。

前回、昭和50年(1975年)の関西の若手漫才師のドキュメントを取り上げた。
そこから数年後、漫才ブームが巻き起こり、前回の記事でも取り上げたように、ザ・ぼんちのレコードが爆発的に売れて、日本武道館で単独ライヴを行うまでになった。

『紅白歌のベストテン』に出演した、ザ・ぼんち。
居並ぶ面々(松田聖子、河合奈保子、柏原芳恵、西城秀樹、野口五郎などなど)を見れば、当時のぼんちが如何にアイドルだったのかがわかる。
昭和56年(1981年)の映像

そして、更にここから数年後、関西お笑い界は革命的な一大変革を遂げるのだ。
ダウンタウンの登場である。

昭和63年(1988年)の番組
この当時のダウンタウンは25歳
今の若手で言えば、霜降り明星と同じくらいの年齢。
霜降りが若くして成功したと騒がれているが、同じくらいの歳で、ダウンタウンは既にもう今と変わらぬ風格である。
ちなみに、紳助も、さんまも、これくらいの年齢でトークは完成されていた。

前回の記事で取り上げた1975年当時の若手と、それから10年チョイ経過した時代の若手の違い。
黒電話が一気に携帯電話に変わったくらいの変革である。

映像を観ると、辞めている人、亡くなった人もいるのだが、結構今でも続けている人もいるので、ご興味があれば、誰が誰だか探してみてください。

近年は、M-1グランプリを始め、R-1、キング・オブ・コント、歌ネタ王等々、お笑いの賞レースが随分増えた。
ジャンルが細分化されたことにより、コンビあるいはピンで、それぞれの特徴や得意分野を見極めて挑んでいくことができる。

賞レースで勝ったからといって、その後の成功が必ずしも約束されるものではないが、ひとつの大きなチャンスを手にするのは間違いなく、一昔前の芸人さんと比べて、そのチャンスを手にする機会も随分と増えている。

時折、思い出したように観たくなる映像がある。
それは、45年前の第五回NHK上方漫才コンテストに挑戦する若手芸人を追いかけたドキュメント映像である。

成功を夢見て突っ走る若き芸人の姿は、今も昔も変わらない。
そして、待ち受ける厳しい現実も、今も昔も変わらないのだ。

若き日の藤本義一がナビゲーターとなり、賞レースの非情な現実を赤裸々に映し出す。
若手時代のザ・ぼんち、海原はるか・かなた、酒井くにお・とおる、大木こだま(当時の相方は、大木ひかり)、の姿がそこにある。
この時の賞レースには出ていないが、ステージ裏に駆けつけた海原千里(上沼恵美子)の姿もある。

海原はるか・かなた
左:海原かなた(当時28歳)
右:海原はるか(当時27歳)




ザ・ぼんち
左:ぼんちおさむ(当時23歳) 
右:里見まさと(当時23歳)
この6年後、空前の漫才ブームを迎え、出したレコード『恋のぼんちシート』はオリコン二位を記録
日本武道館で漫才師初の単独ライヴを行うまでの超絶人気となる。



酒井くにお・とおる
左:酒井くにお(当時27歳)
右:酒井とおる(当時24歳)


大木こだま
当時24歳


海原千里(上沼恵美子)
当時20歳



現在では師匠クラスの彼らを抑え、この時受賞したのは『チグハグコンビ』である。
しかし、残念ながら彼らは、はるか昔にお笑いの世界から消えていった。

この前年の優秀話術賞(現在の最優秀賞)は
B&B
(二代目である。島田洋七と上方よしお(現在の西川のりおの相方)漫才ブームのB&Bは三代目)
翌年はオール阪神・巨人が受賞している。

1984年、最優秀賞トミーズ、優秀賞ダウンタウン、ザ・バッテリー
この、ザ・バッテリーについては、当ブログの
で、取り上げているので、参照ください。

コンテストの歴史を知りたい方は、下記リンクを参照ください。
賞を取った後、今でも売れている芸人もいれば、いつの間にか消えていった芸人もいる。

桂米朝師の言葉
『芸人、末路哀れは覚悟の前』
が心に染みる。