生きづらさを解消して、じぶんの人生を取り戻すために過去を振り返ってみようということで始めたこのブログ。
振り返るうちに「自分の子供にしてあげたいこと」がどんどん浮かんできたので、それも書いていこうと思う。
私は子供の頃、近所の同年代の子たちと比べて外で遊べる時間も短かったし親から禁止されていることも多かった。幼稚園に上がる4歳くらいまで友達と一緒に遊んだ経験が無く、兄弟もいなかったので空想の世界に浸ったりお絵描きや絵本などの一人遊びばかりしていた。
原因は両親の離婚。
調停離婚だったが、母は弁護士から
「父親にも親権が認められてるので、父親が子供を連れ去っても違法にはならない。なので子供を連れ去られないよう十分注意してほしい(結局、連れ去られなかったけど
)」
と言われたそうだ。
(大人になった今では、離婚成立後に父母双方に親権が認められるケースがあることに驚く
)
母は私が1歳半の頃から祖母に預けて働きに出た。母も祖母も連れ去りを恐れていたので私を極力外で遊ばせないようにした。かと言って児童館などへ連れて行ってくれるわけでもなかった。
祖母は私の歯が虫歯だらけになっても歯医者へ連れて行ってくれず、3歳くらいの頃には自宅に取り寄せた幼児用の教材を使って厳しく指導した。
教材に描かれている人魚の数を数え間違えたことでこっぴどく叱られ、泣きながら数え直したことを30年経った今でもはっきり覚えている。
小学校へ上がると、しょっちゅうテストの点数が悪いことで祖母に叱られた。ひどいときにはランドセルから筆箱やらドリルやらを取り出し、次々と私に投げつけた。
私の成績は幼い頃から凸凹で、国語(現代文)は全然勉強しなくても良い点数が取れるのに、算数(数学)はさっぱりなのだ。
祖母にはそのことでもよく責められた。
「算数ができる子が本当に賢い子や!
国語なんかできたって何の意味もない!」
しょっちゅう言われたこの言葉には本当に本当に傷付いて、自信を失った。
他にも近所の優秀な子と比べて責められたり、自分を解放できたお絵描きも勉強のために禁止されたり。。
そんな環境のせいか、運動神経は飛び抜けて悪く、家族以外の他人と言葉を介したコミュニケーションを取ることが非常に難しかった。
相手の気持ちもわからないし自分の気持ちや考えてることもちゃんと伝えられなかった。
挨拶すら恥ずかしくてなかなかできなかった。
そのため学生時代は「いじめられっ子」もしくは「スクールカースト下層」のポジションにいることが多かった。
そんなんでも、一人っ子の自分は母・祖母・祖父・叔父の期待を一身に背負っていた。
成績の悪かった小学生時代から受験する高校を家族に勝手に決められ、その高校(地域No. 1進学校)の前を通る度に
「snowsnowちゃん(←私のこと)が将来通う学校だね」
とプレッシャーをかけられ続けた。
うちの家族は本当に仲が悪くて、みんなしょっちゅう喧嘩していた。
大人になってから何かで読んだけれど、子供は家族が喧嘩しているとその原因に関係なく「自分のせいで、自分が悪いから」喧嘩していると思い込むらしい。
自分もそうだった。
喧嘩して誰かが怒鳴る度に部屋の隅で震えながらひたすらに自分を責めていた。。
今になってわかることだけど、そのときの罪悪感が根っこにあるから、祖母から
「snowsnowちゃんの(5段階評価で)オール5の通知表が見たい」
と無理難題言われても、
家族が勝手に決めた手の届かないような進学校の受験を無理強いされても(受からないと育てないくらいのことも言われた)
ひたすら期待に沿えるよう頑張っていたんだ。
でも、罪悪感を消すために頑張っても家族の期待に沿うような結果は残せなかったから、結局、罪悪感の上塗りになった。
母や祖母からはしょっちゅう
「大事なsnowsnowちゃん」
と言われていたけれど、言われる度にイラついた。
当時は
「こうやって溺愛されてるから学校では甘ちゃんに見られていじめられるんだ」
と思うからイラつくのだと思っていたけれど、本当は
「口先だけで本当に愛してなんかいない。自分の虚栄心を満たすため、自分の成し得なかったことを実現させるために子供を利用してる」
それに気づいてたからかもしれない。
そんなことを思うなんて、自分はなんてひとでなしなんだろうと思って封印したんだろうな。
この経験から今の自分&我が子に伝えたいこと、してあげたいことはあるんだけれど、長くなったので次回にします

