どうも、おかげさまで元気にさせていただいております。
が、ちょっと仕事でミスをしまして。
そこで思ったこと。
「わしは間違ってはいけない?失敗してはいけない?イライラしてはいけない?わしも人間だしなー。んなこと不可能だよなー。しかしなんだろう?なんでもできなきゃいけないみたいな?いつでもなんでも優しくはいはいってやってあげないといけないみたいな?言われずとも気を利かせてなんでもやってあげないといけないみたいな?できないことでもやらないといけないみたいな?無理難題をやって当然みたいに押し付けられているみたいな?無理難題と思うわしの方がおかしいみたいな?わしも人間なのに人間扱いされてないみたいな。わしは奴隷や召使いじゃないのに。なんでも優しく言うこと聞いてくれるお母さんでもないのに」
とぐるぐるしておりましたら、久しぶりにお題来ました。
「私は人間です」NO
「私は奴隷じゃない」NO
「私はお母さんじゃない」NO
え~と自他ともに認める中身宇宙人のはずでしたが…いつの間にか人間離れしていたようです。
道理でね…人のことなんだと思うような失礼な奴に出くわしたり、そういや前職の時、人のこと「お母さん」呼ばわりする奴がいてそのたび「おかんじゃねぇ」言ってやってたことがあったんですが。
潜在意識の思考ってホント不思議。
ともかく、わしも人間なので人間扱いされずなんでもやれみたいなのは嫌だし、奴隷みたいに扱われたり、勝手にお母さんを投影されて押し付けられるのも迷惑。客と業者だろうがなんだろうが、人間同士対等であっていいと思うし、コントロールされる筋合いはないはずなので、久しぶりにワーク致しました。
でも何したんだっけなー?
ともかく自分の中にコントロールされようとすることや人間扱いされずあれこれ要求ばかりされてそれがあたかも当然とされることへの怒りがすごかったような。
あと「お母さん」とは何か考えさせられましたね。
子供産んで体の回復をしながら子育て。夜中だろうがなんだろうが泣いたらミルクあげたり、おむつ替えたり、あやしたり。他にもいろいろ?わしは子供産んだことないんでテキトーですけど。
そういや「あかちゃんのドレイ」ってマンガがあったような。
泣いたらすぐ何でもしてもらえてそれが当然だった記憶が人間誰しも無意識ながらあるんでしょうけれども。
「私は人間です」
「お母さんも人間です」
「奴隷や召使いも人間です」というのが降ってきたので置き換えて。
人間や対等であることの定義やコントロールから自由であることなどを潜在意識に教えたのはかろうじて覚えてます。
そんな訳で?
看護婦さんも人間です。
病気なんだから優しくしてもらって当然?
言わなくても気を利かせて何でもしてくれる?
やって欲しいことはきちんとわかるように言っていただかないとわしおめーのおかんでも嫁でもねーし。ついでにテレパシーも使えねーし、細胞分裂してわし1号2号やら作成して一度になんでもできるわけじゃねーぞ。看護学校で超能力開発なんかカリキュラムには入ってねーぞ。
看護婦さんも人間です。
看護師免許を持ってるだけのただの人間です。
一応患者やお客の前では出さないようにしてますけれども、お腹もすくし、眠気と戦っていたり、虫の居所が悪いことだってあるし、何でも優しくやってくれるのなんか残念ながらちっとも当たり前じゃねーぞ。そりゃわしだって怖い看護婦さんになんか出くわしたくないけどな。
わしもへっぽこながらも一応プロとしてやっているので、コンディションには気を付けて仕事するようにしているんですが…、何でだろう?疲れてたんかなぁ?無理せず他の人に変わってもらったらよかったんだろうけどな。
人に優しくされたいのなら病気を水戸黄門みたいに振りかざす必要なんかないはずなのに。
わしももっと自分に優しくします。