どうも、ひさしぶりに感情が浮上しちゃってセルフワークいたしました。
といってもなんか…久しぶりなせいか??セルフワークというよりセルフコントって感じ
言葉で掘り下げるというより、浮上した感情をひたすら感じて、本当はどうしたかったのかをひたすら自分に問いかけるみたいなことをしていました。
最初はね…ちやほやされたかったのかな?と思ったんですがね。
ちやほやされるというのがどんな感じなのか不明で(わしあるある)。
そうこうするうちにかつての職場のとある病院の忘年会の記憶がよみがえり。
わしが病院を辞めてよかったことのひとつに「忘年会に出なくてよくなった」というのがあるんですけどね。
余興めんどくさかったり、ちゃんとした服着てばっちり化粧しないといけないのが面倒だったり…イヤイヤ実は。
席がなかったのにすんごく腹立って「もう帰る!!」位に激高したことを思い出し。
わしがかつて勤務した病院の忘年会ってホテルの宴会場とか結婚式場みたいなところであって、人数確認厳しい+夜勤などの勤務者以外は必ず出ろよ的圧が強かったんですが(なので夜勤明け、休みの人間もほぼ強制出席)。
そして部署ごとにテーブルが割り振られているんですが、わし病棟だったし、人数多い関係で席があぶれたんだろうけど。
先に来ていた人間で満席になっていて。
ほぼ強制的に来させといて席がないってどういうことってね。
今にして思えば、よその部署のテーブルに行けば空いている席あったと思うし、そうすりゃよかったじゃんな話だけど。
さびしいじゃないですか。一人よその部署のテーブル行くのも。
まあ、その時は激高したわしの勢いに押されたのであろう心優しい人が席を手配してくれたんですが。
今思い出しても正直帰ればよかったと思っております。
べつにわしがいなくてよかったし、むしろ来なければよかった。
これ、シータヒーリングで言うところの土台の思考かな?と思ったものの。シータっぽく引き抜き、置き換えのテクニックは降ってこず。
うすぼんやりと40ん年前。わしが生まれたときに来ました。
どうもはるばる地球に生まれてまいりましたのに、歓迎されている感があくまでも自分的にですが薄くてですね。
なのでスピリチュアル精神科医の越智啓子先生方式で自分で声をかけました。
「ゆきちゃん、生まれてきてくれてありがとう。よく来てくれたね。待ってたよ。会いたかったよ」
それでまあ抜けましたが…。
そこでわしが思ったこと。
世界中の分娩室なり助産院なり…赤ん坊が生まれるところにすべて
「熱烈歓迎!地球にようこそ!!」「生まれてきてくれてありがとう!」な横断幕を貼るなり、歓迎のパフォーマンスをお産にかかわるスタッフなり付き添う家族なりができるように(ドンドン、ぱふぱふ~な)グッズを用意しとくとかしたほうがいいんでないかと。
まあ、衛生管理、騒音その他の問題で現実的でないのは重々承知の助でございますけれども。
そういやわし、昔一瞬だけ助産師になりたかったけど(実習に行った産婦人科病棟の師長やスタッフが怖すぎて断念)。地球にやってきたお子様に「地球にようこそ~」ってやりたかったからだったもんな。
ウチの甥2名(現在2歳半)が生まれたときにそれができたのは、わしにとってものすごく幸いなことでございましたね。
なんちゃない、わしがそうしてほしかったんだね。
ま、そんなわけで、わしはわしのために「地球に来てよかった」と思えるように生きていかねばなりませぬ…(笑)
そういやどっかでも出てきたなこのフレーズ(ああ、ここでした。ついでにその前に忘年会が嫌いな記録も残ってました。笑)。
ついつい忘れるし、忘れても大丈夫なようにちまちま記録をしておるわけですが(看護師の職業病ともいふ)。
自分でそういう現実を作っていく方向で自分とお約束して参りますよ。