夢はいっぱいあるんだけども、

叶えたい夢が今間近に迫ってる(・・・と思う)。

それはバンド。


運良くすばらしいメンバーに恵まれ、

色々あったが、約1年活動してる。


その夢は


「現メンバーと共にオリジナルの曲作成と

公共でのライブハウスでその演奏をすること」


簡単そうに見えて簡単でない。

この夢は自分自身が思ってること。

他はわからん(笑)


今まで音楽をやってきた

その経緯を書きたくて書きます。

ヒストリーっちゅーやつだね。


~その何~まであるかどうか知らないけど、


過去に振り返り、それを自分自身に伝えるため、

長々と書きます。


長いです。マジで。


高校の頃から色々なコピバンをやってきた。

ヘビメタ、ビジュアル系、メロコア、パンク、J-pop

当時流行ってた音楽と自分が生きていない時代の音楽をやりつつ、

なんのためらいもなくただ、ただ、突っ走っていた。

先輩や同級生が聞く音楽に影響されながら

日々練習を繰り返していた。

自分自身のへたくそなボーカルやドラム

文化祭でやった音源が今でもあるけど、あれはひどかった。 


留学をして音楽を続けたいと思っていたが、

英語がまったくできなかった俺は音楽をやるということすら

忘れていた。ただ、ライブを見るということは欠かさずしてた。

自分が好きな音楽が実はこっちでは全然人気がなく、

誰も知らないし、共感する奴すらいなかった。


どういう音楽をみんなが聞いてるのか知りたくなって

英語できないのにもかかわらず、

1ヶ月間、ほぼ毎日地元のライブハウスでボランティアとして働くことを決めた。

客はひどい時で10人、多いときで200人だった。

俺の仕事はお菓子や飲み物を売る仕事、

ドアが開くたびに、音楽が聞こえていた。

仕事が終わると、タダで中に忍び込んで

自分が聞いたこと無いような、ましてや嫌いなはずのジャンルの音楽を聞いていた。


小さなライブハウスとは言え、

当時はあまり売れてなかったMins the Bear やVelvet Teenなど

今やある程度有名なバンドも演奏していた。


働いてて気付いたんだけど、出るバンド結成は浅かったり

むちゃくそ下手だったりするけど、誰もコピバンをやらなかった。

やるのはバラバラのオリジナルや、叫んでるだけとか、だったけど

みんなすげぇ楽しそうだったことを覚えてる。

客もストレートに反応するし、良かったら盛り上がるし、悪かったら帰るし。

心のどこかでそのことに惹かれる自分がいた。


英語うまくなったら、バンドやってオリジナルやって、

発音や歌詞がどんなでも心に響く音楽やってみたいって。

まぁ、多少ファンタジックでむちゃくちゃな考えだが・・。

そんなもんなことを思っていた笑


その後、ホームステイをしてたとき、

ホストファザーが画家だったので、ギャラリーパーティをするときに

何かやってほしいと言われて、語学学校で同じクラスだった

ボンジョビしか弾けないギターの日本人と右手と2ビートしか叩けないドラムの日本人と

一緒にボンジョビのコピーをしたんだけど、俺はそこからベースになりました。


ギャラリーパーティにて、アメリカ初のライブで客がみんなアメリカ人で

まさか自分がつい最近心に決めたことが実現するかと思ってなかったんだけど、

見事「お前らはオリジナルないのか」とブーイングをくらい、

帰られるということは無かったが、すごく盛り下がったライブだったことを覚えている。


その後、色々な出会いによって

音楽をやってる人達に会ってコピバンをやり続けて

なんとなく、その時にいわれた「オリジナルはないのか」という言葉が

ひっかかって、コピバンばかりやってる自分に嫌気がさしてきた。

が、自分自身、曲を作るアイディアがなく、試行錯誤するも

力が追いつかず、悪循環にはまっていった。


つづく・・・(かもしれない)・・。