『ああ大和にしあらましかば
ああ、大和にしあらましかば、
いま神無月、
うは葉散り透く神無備の森の小路を、
あかつき露に髮ぬれて、徃きこそかよへ、
斑鳩へ。平群のおほ野、高草の
黄金の海とゆらゆる日、
塵居の窓のうは白み、日ざしの淡に、
いにし代の珍の御經の黄金文字、
百濟緒琴に、齋ひ瓮に、彩畫の壁に
見ぞ恍くる柱がくれのたたずまひ、
常花かざす藝の宮、齋殿深に、
焚きくゆる香ぞ、さながらの八鹽折
美酒の甕のまよはしに、
さこそは醉はめ。
新墾路の切畑に、
赤ら橘葉がくれに、ほのめく日なか、
そことも知らぬ靜歌の美し音色に、
目移しの、ふとこそ見まし、黄鶲の
あり樹の枝に、矮人の樂人めきし
戯ればみを。尾羽身がろさのともすれば、
葉の漂ひとひるがへり、
籬に、木の間に、──これやまた、野の法子兒の
化のものか、夕寺深に聲ぶりの、讀經や、──今か、靜こころ
そぞろありきの在り人の
魂にしも沁み入らめ。
日は木がくれて、諸とびら
ゆるにきしめく夢殿の夕庭寒に、
そそ走りゆく乾反葉の
白膠木、榎、棟、名こそあれ、葉廣菩提樹、
道ゆきのさざめき、諳に樹きほくる
石廻廊のたたずまひ、振りさけ見れば、
高塔や九輪の錆に入日かげ、
花に照り添ふ夕ながめ、
さながら、緇衣の裾ながに地に曳きはへし、
そのかみの學生めきし浮歩み、──
ああ大和にしあらましかば、
今日神無月、日のゆふべ、
聖心の暫しをも、
知らましを、身に。』
『わがゆく海
わがゆくかたは、月明かりさし入るなべに、
さはら木は腕だるげに伏し沈み、
赤目柏はしのび音に葉ぞ泣きそぼち、
石楠花は息づく深山、──『寂靜』と、
『沈默』のあぐむ森ならじ。
わがゆくかたは、野胡桃の實は笑みこぼれ、
黄金なす柑子は枝にたわわなる
新墾小野のあらき畑、草くだものの
釀酒は小甕にかをる、──『休息』と、
『うまし宴會』の塲ならじ。
わがゆくかたは、末枯の葦の葉ごしに、
爛眼の入日の日ざしひたひたと、
水錆の面にまたたくに見ぞ醉ひしれて、
姥鷺はさしぐむ水沼、──『歎かひ』と、
『追懐』のすむ郷ならじ。
わがゆくかたは、八百合の潮ざゐどよむ
遠つ海や、──あゝ、朝發き、水脈曳の
神こそ立てれ、荒御魂、勇魚とる子が
日黒みの廣き肩して、いざ『慈悲』と、
『努力』の帆をと呼びたまふ。』
薄田泣菫『白羊宮』より
文語詩と口語詩の転換期に出版された、文語詩の詩集です。
明治の情景から古代日本を思い描き、古語を用いて綴られた詩の数々。全体的に浮世離れした雰囲気で、笛や鼓の音が聴こえて来そうです。確かにこれは文語だから醸せる良さなのかもしれないなと。口語にしてしまうと響きが変わってしまいますし、微妙なニュアンスが上手く伝わらなくなったりしますしね。自由詩でもあり、所々言葉のリズムが変わるのも味があって良いですよね。
ところでこの詩集、装丁が洒落てますよね。羊と星。かわいい。
それにしても何故『白羊宮』なのでしょう。洋風の装丁に対して作品が純和風。可愛いから良いか。
今回作ったのは本味醂と柑橘のカクテルと、蘇です。
前々から一度は作ってみたいと思っていた蘇、古代日本を感じさせる食ということで今回作ってみました。甘さ控え目のミルクキャラメルのような味がします。蜂蜜を添えるか迷ったのですが、古代感が薄れる気がしたので今回はそのままにしました。
ご存知の方も多いと思いますが、味醂は本来お酒として呑まれていたものです。現在でも、本味醂の中にはお酒として楽しめるものもあるのです。原材料が「もち米、米麹、焼酎」のみのものがそれ。
ということでもち米リキュールとして本味醂を使用し、柑橘類の果汁を加えて炭酸水でフルアップ。甘過ぎないさっぱりカクテルに仕上げました。
作中に黄金色がよく登場するので黄金色でまとめてみました。