『あれは、まず、あれだけのもの』

岡本かの子『食魔』より
何者にもなれない、ある男の話。
鼈四郎の死生観に現れる創作者としての思想と、孤独と。鼈四郎の生き方と、粘り濃く潤う闇を貪る霰が重なります。死を食い生を吐く。何者にもなれない、しかし何かに成らんと貪欲に闇を食らう。読後に残る空虚な余韻。
この闇を貪る霰の表現も良いんですよね。夜に霰が降りしきる様を示して「粘り濃く潤う闇」を霰が「貪る」。
ここから俗世的な感想です。
「尊敬されたい」「先生と呼ばれたい」というのは別に良いと思うのですが、鼈四郎はそこで自分を持ち上げる為に周りを馬鹿にする事にするんですよね。才能があるのだから、尊敬されたいなら周囲の人を尊重した上で自分を誇れば良いのに、と思ったのです。
そして成り行きで亡き親友の姪を妻に娶り子供も産まれ、その後に出会った魅力的な女性に惹かれるも結ばれる事は無いと嘆く。これに関しては少しだけ同情する部分もあります。伯母さんのゴリ押しが凄い。
親友が亡くなる時の描写がとても具体的なので苦手な方はご注意下さい。毎度の如く無駄に薄目で読みました。
今回作ったのは作中に登場した大根の煮物、卸し鱠、大根を小魚の形に刻んだもの。
煮物は鰹ダシで煮てあります。味付けは薄口醤油、酒、味醂。
卸し鱠は初めて作ったのですが美味しいですね。個人的には調味料をさっと混ぜて大根の辛みが利いている内に食べる方が好みでした。時間をおくと辛みが消えるので、辛いものが苦手な方にはそちらをおすすめします。