小泉八雲『怪談(KWAIDAN)』より
英字題:The story of Mimi-Nashi-Hoichi
子供の頃に読んだ時は耳を持って行かれる場面のあまりの恐ろしさにそればかりが印象に残っていましたが、大人になってから読んでみると大分印象が変わる事に少し驚きました。どちらかというと死者達の悲哀を強く感じますね。演奏を誉め称えたり聴き入って涙したりするからでしょうか。耳を持っていくのにも理由がありますし。
そして何より壇之浦の一条下を謡い上げる場面は圧巻です。所作の一つ一つを丁寧に短くテンポ良く書いているから、まるで演奏を聴いているような気持ちになるのでしょうか。
所々諧謔的にも感じましたし、ただむやみに恐い話という訳でも無いんですよね。最後は芳一が琵琶師として成功するのですが、盲目の芳一が耳までも奪われて、どこまでも哀しい物語なのだな、と。ただ、平家の霊たちは嬉しかったんじゃないかな、とも感じました。哀しみの中にも仄かな救いがある。
言うてお侍さんの霊も浮いてる耳持ってこうとしたら大量出血したのに全く気にせずそのまましれっとお帰りになるのが凄いですよね。もしかしたらお侍さんの霊は分かった上で妥協策として耳を持って行ったのかと思ったり思わなかったり。
あと関係無いですが住職が納所へ任せた部分の確認漏れを芳一に詫びる場面で「ヒューマンエラー……」と思ってしまった現代人はそこそこいると思っております。住職良い上司ですね。
なお、本の英題が『KWAIDAN(くわいだん)』なのは、奥様の節子さんが出雲のお国言葉で八雲先生に教えたからなのだそうです(ここをご覧になられるような方はほぼ御存知かと思うのですが念のため書いておきますと、小泉八雲先生はギリシャ生まれです。本名:Patrick Lafcadio Hearn)。
主役は麺なので、今回は茗荷のジュレを作って薬味を切ったのみ。
クッキングシートにお坊さんの型を描いて切り抜き、麺の上にお坊さん型に薬味を盛り付けたら終了です。
この麺が凄いのですよ。
ほうとうの麺に般若心経が書かれているのです。その名も『法燈』(注:商標登録されているそうです)。これをお見掛けした時に作るしかあるまいと。某ネットショップで購入しました。