鮨屋という空間、軽快でありながら多感故の孤独を内包する看板娘のともよ、老紳士・湊の幼少期の鮨に纏わる回想。
鮨を透かして向こうに写るのは、食べることは生きるということ。動物であれ植物であれ、何ものかの命を貰らなければ生きていけない。それに向き合い、前向きに受け入れた内容はある種の哲学のようなものを感じます。鮨を咀嚼する場面は鳥肌もの。色んな意味で(ブログ主はフラッシュバックしかけたので食に対して思うところがある方はお気をつけ下さい。逆に言えばそれだけ見事な表現でした)。その後の母親の描写がまた良いのですよ。
柔和な筆致に子どもを生かそうとする湊の母親の思いが重なり、繊細ながらも仄かな温かみを感じるお話でした。
今回作ったのは作中に登場する鯛と比良目の握り、さんまの押し鮨、それに繊細さのイメージで硝子の器に白身魚と小柱の和え物を盛りつけました。
魚の匂いをあまり感じないように花穂紫蘇と柚子を添えています。