『行く道道に一ぱいに桜の花が咲いている。行けば行くほど咲いている。
ああ、──きっと小母さんは、どこかへ死にに行くのであろう。』
宇野千代『老女マノン』より
これは船屋の小母さんの物語であり、とある女流作家の物語であり、何処かの誰かの物語である。そんな風に感じました。時の流れは等しく無慈悲でどうしようもなく公平だという点において。
最後、桜の花道を行く美姫マノンの描写は華奢で美しく、一人の女性の生き様を見た気がしました。
『(どんな女も粉黛を施さねばならぬ。そして年を老ってはならぬ。それは、自分ひとりの体だけを頼りに思わねばならぬ種類のすべての女の、生活の方法である。)』
これは現代にも通ずるものがありますね。
女一人で生きるのはまだまだ難しい時代です。
年を重ねること自体は昔程には気にしなくても良くなっているのかな。
ところで白状致しますと、このお話を読んだのは去年でした。一昨年『葱』で一皿作った後。それならばこちらも作らねば不公平というものだろうと。何が不公平かは両方読むと分かります、たぶん。もし両方読もうとなさるなら、個人的には『葱』から読むことをお勧めします。
今回はラストシーンをイメージして作りました。桜羊羹、桑苺のクレープ。
クレープ生地にはバタフライピーパウダーを入れて「うすい青羅紗のマント」を表現。玉子は卵白のみを使い、オリーブオイルで焼きました。イメージに近い焼き色になってくれて満足。
添えてあるのはクレーム・シャンティと桑苺のコンポート。
船屋の小母さんといえば「桑苺の実のような真赤な口紅」ですが、お皿に紅を差すよりも、食べた人が等しく桑苺の実のような色の唇になるのも一興かなと。なおコンポートの煮汁はボルドー系なので案外良い色です。たぶん本当は生の桑苺の真赤なんだろうな(桑苺は熟すと黒くなります。赤いものは酸っぱい)。
桜羊羹は『行けば行くほど咲いている』ように桜の量を調節しました。それ以外はとくに捻りもなく、普通に美味しい羊羹です。