『試みに、千日前界隈の見晴らしの利く建物の上から、はるか東の方を、北より順に高津の高台、生玉の高台、夕陽丘の高台と見て行けば、何百年の昔からの静けさをしんと底にたたえた鬱蒼たる緑の色が、煙と埃に濁った大気の中になお失われずにそこにあることがうなずかれよう。』
『そして、敢て因縁をいうならば、たまたま名曲堂が私の故郷の町にあったということは、つまり私の第二の青春の町であった京都の吉田が第一の青春の町へ移って来て重なり合ったことになるわけだと、この二重写しで写された遠いかずかずの青春にいま濡れる思いで、雨の口縄坂を降りて行った。』
織田作之助『木の都』より
故郷を訪れた『私』のお話。
中学までを過ごした大阪の地で思い出を辿りながら歩いていると、本屋の代わりに『名曲堂』というレコード店が建っていた。そこは奇しくも京都の高校の頃馴染みだった洋食屋の主人が営む店でした。現在をスクリーンにして二重写しになる青春の町。
引用した文章の『何百年の昔からの静けさをしんと底にたたえた鬱蒼たる緑の色が、煙と埃に濁った大気の中になお失われずにそこにあることがうなずかれよう。』という部分がとても好きです。続く歴史と人が作り出す業、といったら大袈裟でしょうか。都市部に残る自然を表すのにこれ程適切で詩的な文章は他に無いと思ったのです。
ところで、中学生の頃は地名の故事来歴よりそこにある女学校に年少多感の胸をひそかに燃やしていた、というのに思わず笑ってしまいました。正直過ぎる。
始まりには鬱蒼としていた緑が、最後は梢のみになっているのが印象的でした。
木々の緑はそれそのものが青春の思い出であったかのようです。
今回作ったのは矢野精養軒の自慢であったというポークソテーをメインに、セロリーの酢漬け、鬱蒼とした緑をイメージしてグリーンサラダ。
旬の終わりのツルムラサキをサラダに、旬の始まりの舞茸をソースに使っています。