『夕飯をすませておいて、馬淵の爺さんは家を出た。いつもの用ありげなせかせかした足どりが通寺町の露路をぬけ出て神楽坂通りへかかる頃には大部のろくなっている。どうやらここいらへんまでくれば寛いだ気分が出てきて、これが家を出る時からの妙に気づまりな思いを少しずつ払いのけてくれる。』


『これまで、さんざお初のことで思い悩んできた内儀さんにとっては、お初は、もう今では諦めの淵の遠い石ころになっている。』


『金魚の鉢を眺めているお初の眼にはしらずしらずに涙のわいてくることがある。狭い鉢の中を窮屈そうに泳いでいる金魚が何やら自分のように思えてくるのだ。』


矢田津世子『神楽坂』より


妾という文化がまだ存在していた頃のお話。
亭主、妻、妾、女中等々、馬淵の家を中心として織り成される物語。
当時の女性の立場や心理が深く微細に入っていて、より心に迫って来る印象。

内儀さんの荒立つ心を静かに残酷に描いたとある場面は色んな意味で鳥肌が立ちました。
妾の存在に対しては諦めの心境である内儀さんの、台詞より雄弁な秘めた感情の発露。衝動。

お初が狭い鉢の中を泳ぐ金魚に我が身を思う場面も何だか切なくなります。
お初は妾ですが馬淵の爺さんに恋心を抱いている訳ではなく、内儀さんの体調が思わしくないのが自分のせいではないかと気に掛けていたり、でも女手一つで育ててくれた母親は馬淵の家に後妻として入ることを望んでいたり、お初はお初で難しいのですよね。
最後、言い淀んで止めたのは多分「内儀さんにして欲しい」と言おうとしたのではないかなと思っています。その後馬淵の爺さんが嫌う贅沢を言ったのはわざとかもしれないなと思ったりもしました。分かりませんけどね。





今回作ったのは、内儀さんの好物である豆餅と、金魚鉢風の氷の器に小さな餡蜜を作って練りきりの金魚を泳がせてみました。
周りはかぼちゃの種とあんずの紫蘇漬け。
種はそのまま女中の種のイメージ。
紫蘇漬けは味のバランス的に甘酸っぱいものを入れたかったのと、金魚っぽい色だったので。緋色。

豆餅は焼く前の状態でお皿にのせてあります。
実際にはこの後焼いてお醤油を塗って食べます。