『わかれる昼に

 ゆさぶれ 青い梢を
 もぎとれ 青い木の実を
 ひとよ 昼はとほく澄みわたるので
 私のかへつて行く故里が どこかにとほくあるやうだ

 何もみな うつとりと今は親切にしてくれる
 追憶よりも淡く すこしもちがはない静かさで
 単調な 浮雲と風のもつれあひも
 きのふの私のうたつてゐたままに

 弱い心を 投げあげろ
 嚙みすてた青くさい核を放るやうに
 ゆさぶれ ゆさぶれ

 ひとよ
 いろいろなものがやさしく見いるので
 唇を嚙んで 私は憤ることが出来ないやうだ』



『夏の弔ひ

 逝いた私の時たちが
 私の心を金にした 傷つかぬやう傷は早く愎るやうにと
 昨日と明日との間には
 ふかい紺青の溝がひかれて過ぎてゐる

 投げて捨てたのは
 涙のしみの目立つ小さい紙のきれはしだつた
 泡立つ白い波のなかに 或る夕べ
 何もがすべて消えてしまつた! 筋書どほりに

 それから 私は旅人になり いくつも過ぎた
 月の光にてらされた岬々の村々を
 暑い 涸いた野を

 おぼえてゐたら! 私はもう一度かへりたい
 どこか? あの場所へ(あの記憶がある
 私が待ち それを しづかに諦めた──)』


立原道造『萱草に寄す』より


五月になると立原道造先生のとある御言葉を思い出します。あの言葉をテーマにするなら缶詰も作りたいのですが、難しそうだったので、今回は道造先生の詩集を題材にしてみました。

胸の虚を吹き抜ける風のような言葉たち。
爽やかで寂しい、悲しい。荒々しい言葉を使う事があってもそれ以外が優しいから、寂しさの印象が強いのかもしれないと思いました。
上質の音楽に耳を傾けるような、風に耳を澄ませるような、そんな詩集です。



折しも摘果が出回る時期。
『わかれる昼に』を思い出して、こちらを作ることにしました。

今回作ったのは摘果メロンのカプレーゼ風とシュトゥルーデル。
さくさく、パリパリ、もっちり、しゃくしゃくと、音を意識して作ってみました。
摘果メロンはマリネしてあります。

某映画で知名度が上がったかもしれないシュトゥルーデルはウィーン菓子です。
音楽の都ですし『はじめてのものに』にエリーザベトが登場するので入れてみました。

後ろにひっそり、ブラッドオレンジの萱草を咲かせてみました。



[2019.06.03]追記
ヘタが付いたままの摘果メロンを初めて見たので、勢いで作り直してみました。こちらの方が摘果であることが分かりやすいかな、と。
「間引かれた実」であることが一目で分かる方が伝わりやすい気がしたのです。メロンは木の実ではないですが摘果であることを重視。
若桃は気軽に手に入るものではないので、シュトゥルーデルのフィリングも摘果メロンにしました。以前作ったものより甘さ控えめ。
若桃も美味しいのでまた別の料理で使いたいと思います。


ところでシュトゥルーデルの生地、捏ねた後にまわりに付かなくなるまで(ブログ主の場合は一時間超)ひたすらボールに叩きつけるのですが、ホームベーカリーでこの作業出来たりしないでしょうか。
といっても、手捏ねは手捏ねの良さがあるので悩みます。うーん。