『次第に更けて行く朧夜に、沈黙の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべって行った。』
森鴎外『高瀬舟』より流刑の罪人を運ぶ高瀬舟。
ある罪人とその護送を命じられた役人のお話です。
兄弟殺しの罪人でこれから遠島(島流し)になるというのに、まるで遊山にでも出掛けるような様子の喜助。それを不思議に思い、役人・庄兵衛は理由を訊ねます。
その様子と罪の訳を知り、それは果たして本当に罪なのかと悩むのです。
人間である以上無欲というのは難しいですが、欲が少ない人はいるものですよね。お話の中で庄兵衛は己の生活と照らし合わせ、喜助の欲の希薄さに豪光さえ感じます。
欲がなければ発展もしませんから、それ自体は悪くないと思うのですが、強欲にはならないよう気を付けたいですね。
そんな喜助がどんな理由で罪を犯したのか、庄兵衛は訳を訊ねます。
江戸時代には既に安楽死のような問題があったのですね(高瀬舟の原点は江戸時代の『翁草』という随筆)。いつ頃からあったのでしょう。
病の弟が「どうせ治らぬなら」と自殺を図ったが死にきれず、介錯して欲しいと懇願されて手伝った、というのが喜助が告白した罪の真相でした。
難しい問題ですね。
もう助からないからと本人が望んだとしても、罪は罪。
しかし、それが苦から救うことであったなら、それは本当に罪なのか。庄兵衛の腑に落ちない、というのも分からなくはないです(もし合法にしたらそれを利用した事件が起きかねないので、対策が必須になりますね)。
喜助が告白する介錯の場面は生々しく痛々しい。
黒い水面をすべる舟、空を仰げば朧月。
霞んだ月の輪廓が庄兵衛の迷いと重なって何とも言えない気持ちになりました。
[2020.10.04]追記
作り直してみました。
林檎と鯛の昆布締めと無花果の和え物、林檎チップス。
昆布締めに使った昆布を船に見立てて盛り付けました。黒いジュレは竹炭を入れた酢醤油をアガーでゆるく固めたもの。和え物に掛けて食べます。周りに散らしてあるのは石榴の実と桜の花。
禁断の果実と呼ばれる林檎と無花果、ギリシャ神話で地獄の約束の実として登場する石榴を使ってみたのですが、こういった果実は何で秋の実なのかと本編と関係無い疑問が湧いたりしました。『悪魔の蔵』のように、美味しい実はすぐに食べられてしまうのでそういう逸話が必要だった、ということでしょうか。それとも単純に、誘惑される程美味しい木の実として思い付いたのがこれらの果実だった、ということでしょうか。どちらにせよ食欲の秋を彩る美味しい果物ですね。