『あはれ
 秋風よ
 情あらば伝へてよ
 ━━男ありて
 今日の夕餉に ひとり
 さんまを食らひて
 思ひにふける と。

 さんま、さんま
 そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
 さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
 そのならひをあやしみなつかしみて女は
 いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
 あはれ、人に捨てられんとする人妻と
 妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
 愛うすき父を持ちし女の児は
 小さき箸をあやつりなやみつつ
 父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。

 あはれ
 秋風よ
 汝こそは見つらめ
 世のつねならぬかの団欒を。

 いかに
 秋風よ
 いとせめて
 証せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。

 あはれ
 秋風よ
 情あらば伝へてよ、
 夫を失はざりし妻と
 父を失はざりし幼児とに伝へてよ
 ━━男ありて
 今日の夕餉に ひとり
 さんまを食ひて
 涙をながす と。

 さんま、さんま、
 さんま苦いか塩つぱいか。
 そが上に熱き涙をしたたらせて
 さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
 あはれ
 げにそは問はまほしくをかし。』



佐藤春夫『秋刀魚の歌』より


お魚屋さんで秋刀魚を見掛けるとこの詩を思い出します。
日頃何気無く食卓に登るお魚ですが、日常のものだからこそ身近に感じられて殊更切なさが沁みるのかもしれないですね。

『さんま、さんま、
 さんま苦いか塩つぱいか。』

というフレーズの語感の良さよ。




今回は捻り無しで秋刀魚の塩焼きを作ってみました。

青き蜜柑、本当は黄色みが差す前のものなのだと思うのですが、残念ながら入手が難しく、完全に色付く前の蜜柑を使いました。これはこれで美味しかったです。半分は秋刀魚に搾り、半分は食後に戴きました。

今回は焼き網で焼きました。
(お刺身でも食べられる鮮度の秋刀魚を使いました)
次は本物の青き蜜柑を搾ったものに挑戦してみたいです。

※この紅葉は食べられません。
(食用の紅葉もあるのだそうです)





余談。
この詩の背景は御存知の方も多いと思います。
正直、この件に関しては誰が悪いというより、あえて言うなら相性が良くなかったのだろうなぁと。
現代では『結婚したが合わないと感じていて、離縁して別の人と付き合い始める』というのはそう珍しくない話ですよね。

収まるところに収まった感じなので、これはこれで良かったんだろうなと。