『私は谷底のような大きな暗緑色のくぼみを深めてわき起こり、一瞬にしぶきの奥に女を隠した水のたわむれの大きさに目を打たれた。女の無感動な、ただ柔軟な肉体よりも、もっと無慈悲な、もっと無感動な、もっと柔軟な肉体を見た。』
坂口安吾『私は海をだきしめてゐたい』より
安吾先生曰く、私小説ならざる現代小説。
空っぽで、乾いていて、欲は在るのに「そこ」には何もない。喪ったのではなく、おそらく元々ない。客観的というか冷静というか、ある種のものへの憧れはあれども『女』がそうでないのも自分がそうなれないのも知っている。
安吾先生は詩人でもあるなあと。所々で散文詩を読んでいるような感覚になります。
ひっそり作り直してみました。
『暗緑色のくぼみを深めてわき起こり、しぶきの奥に女を隠す、無慈悲で無感動で柔軟な海』をお皿に描くならどんなだろう、と思いながら作りました。
器が素麺皿なのは、海を表現するのにグラスでは小さいかなと思ったのと、もう一つは安吾先生の作品の印象です。何となくですが。
それに、ビーフジャーキーやナッツ類の所謂乾き物が海の奥に隠れる感じが出るかなと思えたので、やはり器はこれにしました。
ビーフジャーキーも手作りです。
何度目かの作なので少しだけ進歩した気がする。
始めは大きなものをそのまま置いてみたのですが、肉欲の小ささを悲しむのに大きくちゃ駄目だろうということで小さく切ってあります。
肴を乾き物にしたのは、この作品から渇いている印象を受けたからです。
暗緑色のカクテルは、ウォッカをベースに、パルフェタムール、ブルーキュラソーシロップ、コーヒー、牛乳という構成です。
『私』が御本人を元にしているなら先生の好みを取り入れてみようと、簡単にですが調べてみました。
何でも安吾先生は酒の味を好まず、酔うために呑んでいたのだとか(『酒のあとさき』より)。
加えて、三島先生が坂口安吾文学をジンやウォッカに例えていらしたのを思い出し、ならば無味無臭で度数が高いウォッカをベースに、ジュースのような呑みやすさのお酒にしようと思いました。
結果、このような見た目ですが甘めのコーヒー牛乳のような味になりました。
ウォッカが大量に入っておりますので、お酒に弱い方がいる時には決してお出し出来ない代物です。お酒の味は苦手だけど酔い潰れたいという方用。
ところで、あれこれ試行錯誤して出来たのがこのカクテルなのですが、試作品のいくつかがなかなかに衝撃的な見た目をしておりました。
何せ比重と色彩の異なる液体を複数混ぜておりますので、かき混ぜるごとに鮮やかな模様を描く様はさながら魔女の釜かと。開けてはいけない呪いの類いかと。
素材は同じなので、その時点で飲んでも味はほぼコーヒー牛乳なのですけどね。