『小景異情

  その二

 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしや
 うらぶれて異土の乞食となるとても
 帰るところにあるまじや
 ひとり都のゆふぐれに
 ふるさとおもひ涙ぐむ
 そのこころもて
 遠きみやこにかへらばや
 遠きみやこにかへらばや


  その六

 あんずよ
 花着け
 地ぞ早やに輝やけ
 あんずよ花着け
 あんずよ燃えよ
 ああ あんずよ花着け』





『夕日

 あさくさにて夕日をながめるごとに
 わがこころに
 齢かさなりゆくごとし。

 ちぢれし夕日のひび、
 わが額に皺つくりゆくごとし。』


室生犀星『抒情小曲集』『卓上噴水(『抒情小曲集』補遺)』より


小景異情 その二を初めて読んだのは教科書だったのですが、授業中に様々な解釈が上がったのを覚えています。
ふるさとは悲しくうたふもの、というのが当時は文字通りにしか受け取れなかったのですが、大人になって改めて読むと沁み入ります。

その六は、初見は詩碑だったと思います。
犀星先生にとってはあんずが春告げ花なのですね。雪深い故郷で花開くのを心待ちにする。それはきっと、とても喜ばしいものなのでしょうね。

そして東京からも引用を……と思ったのですが、東京の詩で一番好きなのが補遺の『夕日』なのですよね。
迷ったのですが、やはり好きなもので行こうと思いました。
夕日のひびを皺と表しているのが、何だかしんみりします。ですが、心に齢を重ねるというのは経験を積むということだから、夕日をながめるごとにそれを感じることが出来たのだとしたら、それは寂しいだけではないと思ったのです。



今回は奥(遠く)を故郷、手前をみやこと分けて作ってみました。

まずは犀星先生のふるさと金沢の郷土料理、蓮蒸しです。
丁度新物のれんこんが出回っていたので、作らずにはいられませんでした。もっちもちです。
周りのお花は生あんず。あんずよ花着け、のイメージです。


そして手前はポークジンジャーと焼きあんず。
こちらは夕日をイメージして作りました。
小景異情の「都のゆふぐれに~」から夕日の「あさくさにて夕日をながめるごとに~」で、夕日をながめながらふるさとを想っているのかな、という解釈で太陽とふるさとを掛けてあんずを乗せています。

そしてあさくさというと、古き良き洋食屋さんが思い浮かびます。あんずと合わせるなら肉料理かなぁという流れでポークジンジャーにしました。
豚肉と焼きあんずがとても合うのです。
あんずを焼くと酸味と甘味が増して、醤油を基調としたしょうがダレとの相性も良く、お肉がさっぱり食べられます。
火を通した果物が平気な方にはお勧めしたい組み合わせです。生のあんずが出回るこの時期にしか作れないのが難点(あんずの旬は6月中旬~7月中旬)。


あんずを、ふるさと側では生のまま、みやこ側では焼きにしたのも今回の拘りです。