檀一雄『花筐』より


少年少女は海に何を見たか。
授業をサボってみたり煙草を吸ってみたり恋をしてみたり。戦時中、死が友のような親しさをもって隣にいた頃を駆け抜けた、成人手前の少年少女のお話。
といっても作中に戦争の話はほぼ出てきません。あくまでも青春群像の背景として存在します。


『生きているということは、こんなに甘美な夢なんだ!こんなにゆたかな幻影なんだ!』


と、作中にあるのですが、これが妙に印象的でした。
生きていることが夢なら、死は夢から覚めることなのでしょうか。

吉良は自分では無く自分の演技を信じ始めた母親を試し、事実関係は不明ですが、その後母親は亡くなります。
夢か現かと頬をつねる行為が死に繋がっているようで、背筋が寒くなりました。
吉良は喪くなることで自分が形骸ではなく、確かにそこに存在したことを証明したかったのでしょうか。

榊山は榊山で、自分の行動は全て装飾なのではないかと胸の内を吐露します。が、語られた鵜飼はその意味を理解出来ず、ただ、不思議な魅力を持った美しい言葉だと感じます。

それぞれに答えは無く、それが良いと思いました。『分からない』のが正解なんじゃないかな、と、個人的には思っています。

想像を掻き立てられる、過不足無い美事な余白でした。


この作品をお皿に描くならやはり中心は海だろうということで、水分多めのペパーミントゼリーをクラッシュして真ん中に据えてみました。海の水面らしく見えるでしょうか。
一見爽やかを装っていますが、ミントゼリーを囲うミントソースにフレッシュミントで追いミントと、些かハードな構成になっております。
それにチョコレートの形骸に包まれたミントトリュフと、深紅のルージュが滲んだ繃帯風のクレープを添えました。所々の汚れはブラックココアです。