『道程

 僕の前に道はない
 僕の後ろに道は出来る
 ああ、自然よ
 父よ
 僕を一人立ちにさせた広大な父よ
 僕から目を離さないで守る事をせよ
 常に父の気魄を僕に充たせよ
 この遠い道程のため
 この遠い道程のため』




『牛

 牛はのろのろと歩く
 牛は野でも山でも道でも川でも
 自分の行きたいところへは
 まつすぐに行く
 牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない
 がちり、がちりと
 牛は砂を掘り石をはねとばし
 やつぱり牛はのろのろと歩く
 牛は急ぐ事をしない
 牛は力一ぱいに地面を頼つて行く
 自分を載せてゐる自然の力を信じきつて行く
 ひと足、ひと足、牛は自分の道を味はつて行く
 ふみ出す足は必然だ
 うはの空の事ではない
 是でも非でも
 出さないではゐられない足を出す
 牛だ
 出したが最後
 牛は後へはかへらない
 足が地面へめり込んでもかへらない
 そしてやつぱり牛はのろのろと歩く
 牛はがむしやらではない
 けれどもかなりがむしやらだ
 邪魔なものは二本の角にひつかける
 牛は非道をしない
 牛はただ為たい事をする
 自然に為たくなる事をする
 牛は判断をしない
 けれども牛は正直だ
 牛は為たくなつて為た事に後悔をしない
 牛の為た事は牛の自信を強くする
 それでもやつぱり牛はのろのろと歩く
 何処までも歩く
 自然を信じ切つて
 自然に身を任して
 がちり、がちりと自然につつ込み食ひ込んで
 遅れても、先になつても
 自分の道を自分で行く
 雲にものらない
 雨をも呼ばない
 水の上をも泳がない
 堅い大地に蹄をつけて
 牛は平凡な大地を行く
 やくざな架空の地面にだまされない
 ひとをうらやましいとも思はない
 牛は自分の孤独をちやんと知つてゐる
 牛は食べたものを又食べながら
 ぢつと淋しさをふんごたへ
 さらに深く、さらに大きい孤独の中にはいつて行く
 牛はもうと啼いて
 その時自然によびかける
 自然はやつぱりもうとこたへる
 牛はそれにあやされる
 そしてやつぱり牛はのろのろと歩く
 牛は馬鹿に大まかで、かなり無器用だ
 思ひ立つてもやるまでが大変だ
 やりはじめてもきびきびとは行かない
 けれども牛は馬鹿に敏感だ
 三里さきのけだものの声をききわける
 最善最美を直覚する
 未来を明らかに予感する
 見よ
 牛の眼は叡智にかがやく
 その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく
 形のおもちやを喜ばない
 魂の影に魅せられない
 うるほひのあるやさしい牛の眼
 まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼
 永遠を日常によび生かす牛の眼
 牛の眼は聖者の眼だ
 牛は自然をその通りにぢつと見る
 見つめる
 きよろきよろときよろつかない
 眼に角も立てない
 牛が自然を見る事は牛が自分を見る事だ
 外を見ると一緒に内が見え
 内を見ると一緒に外が見える
 これは牛にとつての努力ぢやない
 牛にとつての当然だ
 そしてやつぱり牛はのろのろと歩く
 牛は随分強情だ
 けれどもむやみとは争はない
 争はなければならない時しか争はない
 ふだんはすべてをただ聞いてゐる
 そして自分の仕事をしてゐる
 生命をくだいて力を出す
 牛の力は強い
 しかし牛の力は潜力だ
 弾機ではない
 ねぢだ
 坂に車を引き上げるねぢの力だ
 牛が邪魔者をつつかけてはねとばす時は
 きれ離れのいい手際だが
 牛の力はねばりつこい
 邪魔な闘牛士の卑劣な刃にかかる時でも
 十本二十本の鎗を総身に立てられて
 よろけながらもつつかける
 つつかける
 牛の力はかうも悲壮だ
 牛の力はかうも偉大だ
 それでもやつぱり牛はのろのろと歩く
 何処までも歩く
 歩きながら草を食ふ
 大地から生えてゐる草を食ふ
 そして大きな体を肥す
 利口でやさしい眼と
 なつこい舌と
 かたい爪と
 厳粛な二本の角と
 愛情に満ちた啼声と
 すばらしい筋肉と
 正直な涎を持つた大きな牛
 牛はのろのろと歩く
 牛は大地をふみしめて歩く
 牛は平凡な大地を歩く』




『冬が来た

 きつぱりと冬が来た
 八つ手の白い花も消え
 公孫樹の木も箒になつた

 きりきりともみ込むやうな冬が来た
 人にいやがられる冬
 草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た

 冬よ
 僕に来い、僕に来い
 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ

 しみ透れ、つきぬけ
 火事を出せ、雪で埋めろ
 刃物のやうな冬が来た』


高村光太郎『道程』より


第一詩集『道程』より、大好きな詩を三つ。
高村先生の詩はストレートに胸を打つ物が多い気がします。飾り気の無い、自分と向き合い心を研ぐような、そんな言葉が好きなのです。



今回は山菜(蕨、たらの芽、ふきのとう)のおひたしにうるいを和えた物を、ダシ・薄口醤油・味醂・酒・塩少々で味付けしたメレンゲの雪で埋めてみました。
それからさつま芋を彫った……







牛。






牛です。






心の眼で御覧下さい。



高村先生の作品を表現するなら彫り物がなくてはと思い立ち、久方ぶりに彫刻刀を手にしました。
結果、尊敬の念は増すばかりです。

なお、牛はこの後スイートポテトになりました。