『格子の間より手に持つ裂れを物いはず投げ出せば、見ぬやうに見て知らず顏を信如のつくるに、ゑゝ例の通りの心根と遣る瀬なき思ひを眼に集めて、少し涕の恨み顏、何を憎んで其やうに無情そぶりは見せらるゝ、言ひたい事は此方にあるを、餘りな人』

『信如は今ぞ淋しう見かへれば紅入り友仙の雨にぬれて紅葉の形のうるはしきが我が足ちかく散ぼひたる、そゞろに床しき思ひは有れども、手に取あぐる事をもせず空しう眺めて憂き思ひあり。』





『ゑゝ厭や厭や、大人に成るは厭やな事、何故このやうに年をば取る』






『或る霜の朝水仙の作り花を格子門の外よりさし入れ置きし者の有けり、誰れの仕業と知るよし無けれど、美登利は何ゆゑとなく懷かしき思ひにて違ひ棚の一輪ざしに入れて淋しく清き姿をめでけるが、聞くともなしに傳へ聞く其明けの日は信如が何がしの學林に袖の色かへぬべき當日なりしとぞ。』


樋口一葉『たけくらべ』より


将来遊女になる事が決まっているというのが何とも……自ら選んだのならそれも良いと思いますが、美登利の場合は自分の意思とは関係無く将来を決められていましたから、また話が別です。
そんな背景がある上で描かれる美登利と信如の淡い恋、正太郎の片想い。
雨宿りの場面が特に好きです。雨に濡れる紅入り友仙が美しくももどかしい。

そして、ある日を境に美登利は人が変わったように大人しくなってしまいます。
この時美登利に何があったのか色々な解釈があると思いますが、個人的には遊女になる準備が始まったという説かなと思っています。
どちらにせよ美登利の将来を考えると、母親はよくこの場面で笑えたなと背が薄ら寒くなりました。私が現代の人間だからそう思うのかもしれませんが。

そして差し入れられる水仙の造花。その清い姿を何処か懐かしく見る美登利。

何でしょうねこの読後感。
大人になるのは嫌だと感情を爆発させた後の、諦めにも似た静けさが辛い。これを美しいと言う人もいるのでしょうが、個人的にはただ辛い。感傷ですけどね。




今回作ったのは練りきりの水仙、それに赤い端切れならぬ白玉粉で作った皮で餡を巻いたお餅(関東の桜餅のような感じ)です。周りに雨の代わりに飴を散らしてみました。 
線はお堀をイメージしています。