私はなぜカウンセリング業をやっているのか。
誰かを救いたい、人の役に立ちたい。そもそもその動機に敢えて疑問を呈してみたい。
私は自分自身を救えてなかったから他人を救おうとすることで自分の存在意義を欲しただけではないのだろうか。
何らかの成果、結果という付加価値がなければ人に愛されないと思い続けてきたから必死に優秀になろうと必要とされようと背伸びしてきたのだと思う。
私が救うべき人は小学生の頃の苦しかった自分自身だと気がついた。
もうがんばらなくていい。好きなことをやってみたらいい。あなたは十分がんばった。
大人になった私はイメージの中で10歳の私にクリームソーダをご馳走した。
いろんな話を聞いてあげたい。何が辛いのか聞いてあげたい。どんなことして遊びたいのか、どこに行きたいのか、イメージの中ですべて叶えてあげたい。
そんな風に自分に優しい生き方を取り戻していきたい。
人は自分の内側の苦しかった自分をわかってあげさえすれば誰しもしあわせに近づける。自分を癒やしたエネルギーが未来の行動力となる。
誰しもにその力が皆に平等に備わっているのだとわかった時、カウンセリングなどきっと必要ないと思った(^^)
そう思うほど、人を過剰に救おうとしたり口うるさくお節介をしようと思わなくなった。
私はお客様を救うのではなく(そもそも人は他人を救えない)自分を救い続けること。そして自分の波長を整えて生きるだけ。
私はカウンセリング業をどうやら長いこと勘違いしていたように思う。
お客様を救うことが私の仕事ではない。お客様の悩みを解決することが私の仕事ではない。お客様が自分のことを自ら救いたいと考えられるまで心を落ち着かせて差し上げる手伝いをすること、暖かい言葉を紡いで投げかけていくのが私の仕事なんだ。
自己肯定感を埋める人生の救済ゲームは今日で卒業だ。
誰かを救いたい、人の役に立ちたい。そもそもその動機に敢えて疑問を呈してみたい。
私は自分自身を救えてなかったから他人を救おうとすることで自分の存在意義を欲しただけではないのだろうか。
何らかの成果、結果という付加価値がなければ人に愛されないと思い続けてきたから必死に優秀になろうと必要とされようと背伸びしてきたのだと思う。
私が救うべき人は小学生の頃の苦しかった自分自身だと気がついた。
もうがんばらなくていい。好きなことをやってみたらいい。あなたは十分がんばった。
大人になった私はイメージの中で10歳の私にクリームソーダをご馳走した。
いろんな話を聞いてあげたい。何が辛いのか聞いてあげたい。どんなことして遊びたいのか、どこに行きたいのか、イメージの中ですべて叶えてあげたい。
そんな風に自分に優しい生き方を取り戻していきたい。
人は自分の内側の苦しかった自分をわかってあげさえすれば誰しもしあわせに近づける。自分を癒やしたエネルギーが未来の行動力となる。
誰しもにその力が皆に平等に備わっているのだとわかった時、カウンセリングなどきっと必要ないと思った(^^)
そう思うほど、人を過剰に救おうとしたり口うるさくお節介をしようと思わなくなった。
私はお客様を救うのではなく(そもそも人は他人を救えない)自分を救い続けること。そして自分の波長を整えて生きるだけ。
私はカウンセリング業をどうやら長いこと勘違いしていたように思う。
お客様を救うことが私の仕事ではない。お客様の悩みを解決することが私の仕事ではない。お客様が自分のことを自ら救いたいと考えられるまで心を落ち着かせて差し上げる手伝いをすること、暖かい言葉を紡いで投げかけていくのが私の仕事なんだ。
自己肯定感を埋める人生の救済ゲームは今日で卒業だ。
かっこいい
方法論は夢を映像化できたら自動的に降りてきます。探してはいけません。
