#じーじとばーばんちの思い出 父方編 | おさんぽ日和

#じーじとばーばんちの思い出 父方編

じーじとばーばか…

いい思い出ないっちゃないかな

父方とは微妙な同居してた、小2から。

祖父の家の敷地に庭を潰して家を建てた。玄関は別だけどドア一枚でつながった家。

風呂?そんなもの必要ない!こっちにあるんだから作るな!!

作らなかった。入りに行くたびに祖母(祖父の後妻、祖父弟嫁で戦争未亡人)から嫌味を言われた。

あまりに酷かったために近所の銭湯に行くように。祖父には怒られたけど気が楽だった。その後父が押し切ってお風呂を作った。

母は後妻からの嫁イビリで1年も立たずに白髪になった。


郵便物も新聞も世帯は別なんだからこっちのポストに入れてくれって言ったけど郵便局も新聞屋も聞いてはくれなかった。郵便物はすべてチェックされ、新聞も先に読まれチラシはもらえず、日々の生活で嫌な思いもいっぱいしたが別居することはなかった。


祖父が入院し夜中に病院に呼び出されたが後妻は来ていなかった。

亡くなるまでほぼ病院に来ることはなく、その間何をやっていたかといえば祖父の預金をせっせと自分の口座に移してた。

祖父が亡くなって渡された通帳には2千円しかなかったらしい。


祖父は学校の先生で勤めている学校に通わされた。

◯◯じいの孫と呼ばれイジメにもあった。


褒められたことは一度もない。後妻の子供が産んだ子供をニコニコと高い高いしているのを見たときにはショックで泣きそうになった。

小学生の時に何故か祖父、父、姉と四人で親戚の家に行ったとき、列車の発車前に漫画雑誌を買ってもらったこと、後妻のくれるお年玉の金額が少なくて正月の挨拶をして自分の家の方に戻るときに「内緒だぞ」と言って別にお年玉をくれた、ただし一回だけ。その翌年から後妻のくれるお年玉の金額が上がったが祖父と揉めたらしい。


まぁあまりいい思い出はない人たち

じーじとばーばんちの思い出

 

 

 

 

 

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