なんだかあれからずっと、実家のこと、両親のこと、弟のこと、を考えている。

あれから弟からもなにもないし、これでいいのだ、とは思っている。

ただ、「遺産がある?」と思って呼び出しに応じたのか?と思われていたら⋯⋯

結局、遺産なんて案の定なかったからさっさと帰ったのか?⋯⋯

⋯⋯なんて思われていたらそれはそれで不本意だけど(苦笑)


自分で言うのも何だけど、私は幼少期はそれはそれは利発な子で有名だった。

父は未だに私が「父より頭の良い人を見たことがない」と心底思えるほど頭の切れる人だった。

その父の血を引いた賢い子、だったらしい。

小学一年生の時の成績表は病弱だったのであまり活発ではなかった体育だけが4で、あとは全部5だった。

両親にとってはそこが得意の絶頂だった、だろうね。

残念ながら、2年生で転校、それからは徐々に成績は下がっていった。


高校受験をする頃は、並以下の成績のおバカ娘が出来上がっていた。


それでも、世間体が大事だった両親は私を身の丈にあわない偏差値の公立高校に競争率だけで志望させた。

もともと別の、私の偏差値でも運が良ければ合格するかも?と言うランクの公立高校に願書を出していたが、競争率発表を新聞で見た両親がより競争率の低い学校へ志願変更させた。

この時、担任教師は変更をしぶったらしい。

そりゃ、私の偏差値では到底合格するわけが無いランクの高校だったから⋯⋯。

それを父がわざわざ学校まで行き、担任教師を説き伏せた。

ところがなんの間違いか、定員割れ3人、不合格3人(だったかな?)と言う状況で私は合格してしまった。

合格発表を見に行き、それを報告した時の担任教師の驚愕と歓喜が忘れられない。

受け取ってきた合格者に渡させれる書類を奪い取るように開けてみてようやく現実に合格したのだ、としんじてもらえ、泣かんばかりの様相だったっけ…。


こんな感じで私の進路はすべて両親の考えのみで決定された。

高い偏差値の高校で頭の悪い私が苦労していても、それはただの努力不足、としか思わなかったのだろうし、それでもなんとか3年間やりすごして卒業の時、4大に行きたい、同級生の98%は進学する進学校だから、とお願いしたのに、3年間の成績不振を理由に却下された。

ちなみに、成績不振ではあったが、「国文科なら、推薦できる」と担任には言われていた。

理数系と英語は壊滅的だったけれど、現代国語の成績は良かったから。

「短大なら行かせてやる」と両親にいわれたが、4大に行かせて貰えないことに拗ねて私は就職を選んだ。

とはいえ、これもこれで進学する予定で動いていたので大変だった。

そんな頃、日本中で誰もが知る大企業の求人があり、両親は大喜びでそこを受けさせた。

まぁ、そこに就職すれば両親の一番大切な世間体は完璧だった。

就職コースではなかったので付け刃の就職試験の知識で、たぶん不合格だろう、とのぞんだのに、また運良く合格してしまった。


人生の一番大事な進路はすべて両親の決めた道だけだった。

それは「同じ官舎の中でうちの子だけ恥ずかしい進路なんて許せない」と言う両親の見栄と外面のためだけ、の進路だった。


別に虐待されていたわけではない。

ネグレクトされていたわけでもない。

むしろ、病弱だった子供の頃から大切に、大切にしてくれていた。

それでも、両親に申し訳ないけれど、私にとっては毒親だった、と思っている。

今で言うなら「過干渉」と言う毒。

私は高校の成績は悪かったけれど、やりたいこともあった。

でも、両親はそれに挑戦することすら許さず、自分たちの描く自分たちが恥をかかない道に私を進ませることに腐心した。

結局、私の放蕩、出奔、と言う手痛いしっぺ返しを貰ってしまったわけだけれど…。


親の「子供の為」と言う枕詞のつく抗弁はたいてい、そのまま「親のため」「私たちの面目のため」に置き換えられるよね。

例えば、私は自分自身がその才能がある、とは一度たりとも思ったことは無いけれど、ほんの少しだけ夢見ていた舞台女優になりたい、と言う夢を1度もトライすることなく、「はっ、そんな夢みたいなこと言ってるんじゃない!」とねじ伏せられたことは未だに納得できない。

不合格でも、それによって悲しい思いをしてもよかったんだよ…。

一度でも受験していれば「ああ、私にはその才能はなかったんだな」と諦められたんだよ…。

その、1回の受験を良い想い出としてさ…。

だから、私は昔のことを思い出すとき、必ず「あの時ああしていれば…」と言う想いが付き纏う。

いや、「ああして」いても、それが成功していた、とは思わない。

きっと、箸にも棒にもかからない、状況になっていた、とは思う。

それはわかっている。

たぶん、両親の推す道がいちばん正しかったんだろう、とは思っている。

それは充分わかっている。


でも、やっぱり、何にも挑戦せずにこの歳になってしまったことはそれなりに恨んでいる。


子供の進路を決める時、「あなたのため」と言う一言は本当に卑怯だと思う。

親の庇護下にある間は何も出来ないのだから。

そもそもが黙って従うしかない、無理ゲーなのだから。


子供の人生は親のものではない。

その子供自身のもの。


私世代の親にはまだそれをわからない親が多すぎた。