もうすぐあの日から2年
3.11
気仙沼の施設にいる婆ちゃん
仮設のGHを返還する期日が来るとかで…
もと施設があった場所にまた建て直したんだとか…
施設から海岸の松林が見えていたあの場所に
二階まで波をかぶるほど海が近いあの場所に
あの日は津波は昼に襲ってきたから、日勤帯で職員の数もいて、9人の認知症の高齢者を咄嗟に職員が車に押し込んで高台に逃げられた。
高齢者も職員も誰一人流されずに済んだ。
でも今度またあの波が押し寄せてきたら…
今度は真っ暗な夜中でのことだったら…
電気が消えてパニックになった認知症の高齢者を一人の夜勤者が短時間で逃がすことができるだろうか。
あの日
他の施設では、利用者を助けようとして、逃がそうとしてたくさんの施設職員が被害に遭いました。
今、私が担当している方は、目の前で若い職員が流されていくのを見て、未だに涙をこぼす。
歩けない高齢者を車で避難させていて津波に追いつかれて、職員だけが助かった人は、高齢者の家族に「なぜあんただけが助かったのか」と問い詰められたとか。
誰も悪くない。
でも、あの日の教訓は生かされてほしい。
子供、年寄り、身障者など逃げるのが困難だったり、時間がかかる人達がいる場所は、できるだけ安全な場所にしてほしい。
逃げる方も、逃がす方も
もうあんな悲しい事がないように
それなのに
婆ちゃんの施設はあの場所に…
婆ちゃんも心配だけど、婆ちゃんがいなくなった後の
震災から時間が経って、津波の怖さが人の心から薄らいできた時
そしてまた、波があの場所を再び襲うことがあった時が怖い