うちの、2歳と6歳の子供。
とにかく2人を見ていると、毎日伸び伸び楽しく喜びを持っていきているなーと微笑ましくなるんだけど、、、
やっぱり子供にとっては「楽しい」というのが真の原動力。

決して「競争」「強制」「評価」ではないんだよね。

現在6歳の娘はベトナムでインターナショナルスクールに通っている。

ほんと毎日楽しそうに学校に行ってる。

学校のカリキュラムや雰囲気が気に入って選んだ学校だったんだけど、通う子供たちは本当に伸び伸び、日々表現を楽しみながら、自分自身を生きられる環境がそこにはある。

それは日本の義務教育にあるものがだいぶ「ない」というのも特徴。

教科書
テスト
やらなければならない宿題(やりたかったらやってくださいというスタンス)
大きな校舎や立派な設備
子供たちは靴を履かず
朝礼
上下関係
一方向の思想
運動会


そのかわりあるものは

自由
寛容さ
縦のつながり
(上下関係ではなく、上の子が下の子を助けるつながりを重視。学年が上の子が絵本を読んでくれたり、娘が通い始めの英語が全くわからなかった頃、よく通訳してくれ助けてくれたお兄ちゃん、お姉ちゃん)
多様性
(国籍は25ぐらい、子供たちの表現物などは本当に多様性に富んでいる。日本の子供の絵はみんな一緒よね)
イベント(親も参加する交流イベントが節目に開かれる。飲み物や食べ物なども出てコミュニティ形成を目的としたもの)

ないものとあるもの、探せばもっと出てくるかもだけど、まとめると、
競争、強制、評価、依存がなく
自由、自主性、承認、寛容がある。

自由=責任をだと私は考えるんだけど、学校でもそういう考えを持っているのかなと感じるところもあり、
例えばランチは自分で好きなものを選ぶ、サンドイッチの具を自分でチョイスする
嫌いなものもちょっぴりチャレンジする(自分がそうしたかったら)
そこには選択の自由か認められ、裏には選んだからには最後まで引き受ける責任や、自主性を尊重する考えがある。自分が選んだものは残さず食べる。すなわち、自分を知る、そして、責任を持つことにつながる。

日本の給食のように他人から同じように配給されたものを食べるスタイルだと、そこには強制があり、また食べられなかった際に無責任さが加わり、他人への非難や依存の思想につながる。
一昔前私の時代だと給食の時間が終わって掃除の時間になってもまだ机に座らされ食べなければならなかった嫌な思い出を持っている人は少なくはないのでは?

給食を例にあげたけど、なぜそうするのかを深堀すると、思想か見えてくるし、それがそのまま生き方や生きる上での哲学につながるんだよね。

だから日本の学校教育もなぜそれをするのか、なぜそうなのかをもう一度考えた方がいいと。無駄なこと、時代にあっていないこと沢山あると感じてるので、教育の目的も含めて考えたいけたらなと強く思うのです。

だって戦後の教育が今の時代に変わらず行われているって怖いよね、、、。