パワースポット・セドナの名前の由来(2)
前回からの続きです・・・
宿泊施設や郵便局の運営、農地の開墾など、重労働の毎日でしたが,
シュネブリー夫妻は子供達と充実した日々をおくっていました。
ところが、1905年、二人を悲劇が襲います。
長女パールが乗っていた子牛が急に走り出し、牛から放り出されたパールは
即死してしまいました。
娘をこのような事故でなくしたことで、セドナは自分を責め体調を崩します。
そして医者の勧めもあり、シュネブリー一家はミズーリー州の親元へ戻る決心をしたのです。
ミズーリーの故郷に戻ったセドナに、更に、妹が亡くなる悲劇が襲うことに。
しかし、このような悲劇の連続が、今まで疎遠になっていた父との和解の道を開いてくれる結果になったのです。
父親も程なくして亡くなり、二人は子供を連れてメンフィスに移ります。
カールは洋服店の営業を始め、次男も生まれました。
しかし、カールは自分に向く仕事は、農業であるとわかり、コロラドに移って、自作農を始めることにしました。
1931年、世界中が大恐慌の混乱に陥り、コロラドでの農業も大打撃をうけます。
経済的にやっていかれなくなり、体調も崩したカールは、医者のアドバイスを受け、
温暖の地に引っ越すことにしました。
カールは土地を売却し、弟のウィリアムが住むアリゾナ州のフェニックスに移ることにしました。
フェニックスに移ってしばらくすると、以前住んでいた、アリゾナ北部に戻りたい気持ちが募っていったのです。
こうして1930年代初めに、一家は旧友を頼って、セドナの地に戻ることにしたのです。
そして、現在のセドナのアップタウンの裏側にあるジョーダン・ロード沿いの一角に、なんとか、小さな家を構えることができました。
しばらくし、その当時、果樹園で成功していたジョーダン家で、二人は雇ってもらえることになったのです。 妻のセドナは家政婦と子守の仕事をし、カールは果樹園で働く生活をするようになりました。 働き者のシュネブリー夫妻は歓迎され、ジョーダン家とシュネブリー家の仲は深まっていき、セドナの町の発展に大きく寄与していくことになります。
カールとの結婚50周年を大勢の仲間に祝福された3年後の1950年、
セドナはガンに侵され、この世を去ります。
その3年後には、カールも事故でなくなりました。
現在のセドナ史跡博物館(Sedona Heritage Museum)が建っている場所は、ジョーダン家の自宅があった場所です。
又、セドナ・アーツセンター(Sedona Arts Center)は、当時、ジョーダン家が果物を箱に詰める作業に使われた建物。
果樹栽培で成功したジョーダン家の名前は、アップタウンの後ろ側の道路の名前としても残っています。
セドナの像は図書館(Sedona Public Library)の入り口に建っており、セドナの町らしい趣をそえてくれています。
(この像の写真は、これの前(1)のブログに掲載してあります)
セドナ自身とこの町の生い立ち、いかがでしたか?
人に歴史ありですね。
**************************
私の写真も含めてのサイトもありますので、どうぞ。
http://sedonapower.ocnk.net
宿泊施設や郵便局の運営、農地の開墾など、重労働の毎日でしたが,
シュネブリー夫妻は子供達と充実した日々をおくっていました。
ところが、1905年、二人を悲劇が襲います。
長女パールが乗っていた子牛が急に走り出し、牛から放り出されたパールは
即死してしまいました。
娘をこのような事故でなくしたことで、セドナは自分を責め体調を崩します。
そして医者の勧めもあり、シュネブリー一家はミズーリー州の親元へ戻る決心をしたのです。
ミズーリーの故郷に戻ったセドナに、更に、妹が亡くなる悲劇が襲うことに。
しかし、このような悲劇の連続が、今まで疎遠になっていた父との和解の道を開いてくれる結果になったのです。
父親も程なくして亡くなり、二人は子供を連れてメンフィスに移ります。
カールは洋服店の営業を始め、次男も生まれました。
しかし、カールは自分に向く仕事は、農業であるとわかり、コロラドに移って、自作農を始めることにしました。
1931年、世界中が大恐慌の混乱に陥り、コロラドでの農業も大打撃をうけます。
経済的にやっていかれなくなり、体調も崩したカールは、医者のアドバイスを受け、
温暖の地に引っ越すことにしました。
カールは土地を売却し、弟のウィリアムが住むアリゾナ州のフェニックスに移ることにしました。
フェニックスに移ってしばらくすると、以前住んでいた、アリゾナ北部に戻りたい気持ちが募っていったのです。
こうして1930年代初めに、一家は旧友を頼って、セドナの地に戻ることにしたのです。
そして、現在のセドナのアップタウンの裏側にあるジョーダン・ロード沿いの一角に、なんとか、小さな家を構えることができました。
しばらくし、その当時、果樹園で成功していたジョーダン家で、二人は雇ってもらえることになったのです。 妻のセドナは家政婦と子守の仕事をし、カールは果樹園で働く生活をするようになりました。 働き者のシュネブリー夫妻は歓迎され、ジョーダン家とシュネブリー家の仲は深まっていき、セドナの町の発展に大きく寄与していくことになります。
カールとの結婚50周年を大勢の仲間に祝福された3年後の1950年、
セドナはガンに侵され、この世を去ります。
その3年後には、カールも事故でなくなりました。
現在のセドナ史跡博物館(Sedona Heritage Museum)が建っている場所は、ジョーダン家の自宅があった場所です。
又、セドナ・アーツセンター(Sedona Arts Center)は、当時、ジョーダン家が果物を箱に詰める作業に使われた建物。
果樹栽培で成功したジョーダン家の名前は、アップタウンの後ろ側の道路の名前としても残っています。
セドナの像は図書館(Sedona Public Library)の入り口に建っており、セドナの町らしい趣をそえてくれています。
(この像の写真は、これの前(1)のブログに掲載してあります)
セドナ自身とこの町の生い立ち、いかがでしたか?
人に歴史ありですね。
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私の写真も含めてのサイトもありますので、どうぞ。
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パワースポット・セドナの名前の由来(1)
アメリカのパワースポットとして、又、レッドロックと緑の織りなす自然の美しさで有名となり、多くの観光客を惹きつけるセドナ。
実は、このセドナという町の名前は、実在した女性、
セドナ・シュネブリー(Sedona Schnebly))から付けられたもの。
この町の発展の礎を築いたともいえる、この女性の人生をたどってみましょう。
セドナは1877年、ミズリー州ゴリンという町の大地主、ミラー家の6番目の子として生まれました。 ドイツ系移民の両親のもと、勤勉なプロテスタントとして育ったのです。
又、裕福な家庭のお蔭で、十分な教育も受け、学校を卒業すると、教員になりました。
教員となって間もなく、将来の夫となるセオドア・カールトン・シュネブリー(Theodore Caleton Schnebly)、 愛称カールと出会うことに。
セドナの父は、宗派が違うことでカールとの結婚に反対しますが、二人は反対を押し切って、1897年に結婚。 その時、カール29歳、セドナは20歳でした。
その二年後、二人はミズーリー州を離れて西部に向かいます。 しかし、このことがセドナの父親を一層怒らせる結果となり、絶縁状態になってしまいます。
この西部行きは、体の弱かったカールの弟エルズワースが、療養をかねてアリゾナに移動し、セドナの北にあるオーククリーク・キャニオンで健康が回復したことから、ここに移ってこないか、と誘われたことが、きっかけでした。
既に二人の子供もおり、家族四人が落ち着いた場所は、弟が農地として購入していた土地で、現在、セドナで有名なホテルのひとつ、ロス・アブリガドス・ホテルがあるところでした。 ここに2階建て11室、地下室も備えた家を建て,隣町のフラッグスタッフと,銅の採掘で栄えていたジェロームとの間を行き交う人達の宿泊施設を営むことにしました。
1902年(日本の明治35年)、カールはアメリカの郵政省にあたる役所(Post Office Department)へ、「シュネブリー郵便局」開設の申請をします。
開設自体は受理されたのですが, スタンプにいれる局名としては名前が長すぎる、ということで、名前を変えなければなりませんでした。
いろいろ考えた挙句、そうだ、妻の名前のセドナ(Sedona)にしよう、と申請したところ、受理され、「セドナ郵便局」が開設されました。
そして、この郵便局の名前が、のちの1988年、正式に市制を敷く時、そのまま引き継がれ、セドナとしてこの町の名前に命名されのです。
長くなりましたので、続きは次回のお楽しみに・・・
こちらもどうぞ!
www.http://sedonapower.ocnk.net
パワースポットなのはなぜ?(3)

セドナがパワースポットたる所以(ゆえん)そして、そのボルテックス・パワーの謎について、これまでふたつの解釈を紹介しました。
今日は、最後のひとつについて。
地球上には多くのパワースポットと呼ばれる場所があります。
例えば、日本人におなじみのハワイやオーストラリアにも。 これらの地に共通なのは、原住民が昔から住んでいて、しかも、彼らの伝承文化やそれらへの姿勢が似通っていることでしょう。
セドナはアメリカ・インディアンの部族が生まれた聖地として言われてきており、今でも、聖なる儀式を行う場所があります。
オーストラリアではアボリジニーと言われる人達、ハワイはポリネシア系の原住民などが、昔から伝わる儀式を今でも執り行っています。
長い人類の歴史の中で、それぞれの土地の原住民は、自然と大地の恵みを享受し、自然とともに生きてきています。
そして、その土地の持つエネルギーを,畏敬の念をもって崇拝し、大切にしてきています。
このように、パワースポットはそこの「気」、エネルギーを敏感に感じ取り、人間の叡智,感性をもって長い間、大切に育んできた地球上の特別な場所であると考えられます。
セドナもこのように、地球上に存在する多くのパワースポットの一つ、渡韓がれるわけです。
さて、皆さんは、どの考えに共鳴しますか?
様々な解釈はあるにせよ、セドナがパワースポッtと呼ばれる、
素晴らしい場所であることは、確かですね。
このセドナからのパワーストーンを紹介している私のサイトもあります。
どうぞ、ご覧になってみてください。
http://sedonapower.ocnk.net
