諦める
という言葉は、嫌いだ。
だから、私は、いつも最後まで諦めないのがスタンスだ。学校の子どもたちにも、どんなにダメでも最後まで絶対に諦めたことはなく、その大切さを伝えることが多い。
でも、今日使ってしまった。
そしたら、何度も、前のことを、「諦めたんですか?」と強く言われて、前の苦しかったことを思い出して、涙が止まらなくなってしまった。
ただのその一言で、こんなに苦しくなるなんて。
病気になって、諦めなければならないことが増えた。寝たきりの時は、1日起きて毎日元気に生活すること。右耳失聴。特に右耳失聴は、どんなに頑張っても取り返せない。だから、何度も「諦めたんですか?」なんて言われることはない。
でも、選択肢がいくつかあるものは違う。
今、入院中だが、みんな母乳育児が定着せず、おっぱいがガチガチにはっていたい、上手く吸ってくれないなど、本当に一人一人色々な悩みを抱えているのを実感している。そして、それぞれに本当に頑張っている。
私も、今のところ入院中1日の平均睡眠時間は一時間だ。
今回は、長男が出産後退院してから、乳頭混乱で、哺乳瓶の乳首の楽さを知って、どんなに頑張っても、激しくおっぱいを拒否されて、毎回毎回授乳の度に、自分が拒否されているように思えて、当時の産院は、十分な母乳指導もなくて、退院後一人で試行錯誤して、でも全然ダメで、相談できる助産師さんもいなくて、本当に苦しかったことを思い出した。一ヶ月色々頑張ってもダメで、近くの母乳相談を見つけた時にはもう2ヵ月になっていて、相談したけど、状況は変わらず、結局完全ミルク育児にした。
そしたら、毎日精神的にかなり楽になれた頃、義両親と義姉が来て、当時同い年の子を完全母乳で育ててた義姉は、軽く「今、母乳あげてみたら?」と言ってきたので、奥の部屋で1人でやってみたら、やっぱりダメで、久しぶりに嫌な気分にさせられただけだった。
完全母乳で育てていた友達や義姉、義母には、直接は言われなかったものの、諦めた人と見られてれている感じが伝わってきて、だんだんと接するのが嫌になった。
私だって最後の最後まで諦めたくなかった。
当時、実家で一ヶ月過ごしていたので、実母は、それを見ていたので、よく寄り添ってくれていた。
今回は、最初の産後3日は、一滴も母乳が分泌せず、乳首が硬い中、一生懸命吸ってくれていた。そのかい合って、やっと分泌し出したのが昨日の4日目。ところが、夜中の授乳から急に母乳をのけぞって拒否するようになった。哺乳瓶の楽さがわかったようで、手で絞った10ミリリットルしかないわずかな母乳も、哺乳瓶では、一瞬で吸ってくれる。だが、自分の乳首は、すぐに吸い付いてもすぐ出てこないようで、激しく泣いて、のけぞって拒否。
この病院は、全員助産師の資格を持った看護士さんのようで、毎回授乳室に行くと、誰か一人看護士さんが居て、様子を見て回ってくれることが多い。
夜中の授乳で拒否し始めた頃から、毎回相談したが、体重が増えていないので、ミルクは必要だし、毎回の授乳とオムツ換えで一時間かかっていたので、早くするために、搾乳とミルクだけにした方がいいと言われたり。看護士さん一人一人言うことが違ったり。
そして、今朝の三回の授乳では、乳頭混乱に気づいてもらえず、こちらから相談した。
そして、その初めて会った看護士さんに、
「もう、母乳は諦めるしかないんですかね?」と切り出してしまった。
そして、長男の時と似ていることなどを伝えたら、何度も強く言われたのが、
「諦めたんですか?」
そう言われたらこう言うしかない。
「はい。諦めました。」
それを何回も言わされた。何で一度だけじゃないんだろ?何度も聞かなくていいのに。
結論としては、教えるしかないと。お腹がすいているときだと泣き出してダメだから、機嫌が良い時や、ミルクを少し飲ませてからなど。全部やった。だから、また相談してるのだ。そしたら、教えるしかないと言われて終わり。
それから、病室に帰って、授乳のことや病気のことで、この五年間本当に辛かったことを思い出してしまい、涙が止まらなくなった。これを書いている今も。
諦めたくないから、何度も聞いているのに。
そしたら、何度か前に見ていて、私が夜中徹夜状態で、ずっと授乳室に、通っている様子を見ていた別の看護士さんは、リセットだって、次の授乳まで預かるから、寝ておいで。優しく言ってくれて。
明日は、昨日の朝、担当の医師に退院を1日早めてもらったので、家に帰ります!
これから、どうやることやら。
最後まで諦めたくないがモットーだけど、脳脊髄液減少症で普段から脱水の私は、やっぱり諦めざるを得ないのかな?