今日も、
あっという間に一日が過ぎた。
こういう時間を365回繰り返しただけで、
一年が終わり、
60回とか70回くらい繰り返しただけで、
一生が終わる。
いや、
もしかしたら、
もっともっと、
短いかもしれない。
一日は24時間で、
1440分で、
86400秒・・・
このブログを書くのにかかっている時間は・・・
当たり前のことだけど、
着々と死に向かって進んでいる。
当たり前すぎて、
怖い。
今日で、
amadanaケータイ君と別れて、
早3日目。
どうやら、
帰巣本能はついていなかったらしい。
(会社携帯で対応させて頂いていますが、
ご不便をおかけしている方、申し訳ありません)
ケータイが無いと、
それはそれで、
色々考えることができておもしろい。
ケータイの登場は、
(総論で申し訳ないが)
人間の寿命を、
確実に伸ばしたと思う。
インターネットの登場は、
もはや議論の余地などないが、
“寿命”という有限の時間の中で、
起こせるアクションの総数や、
出会える人の数や、
コミュニケーションから生まれる化学反応の数や、
リアルタイムコミュニケーションの結果進んだ商談の数や・・・
何をとっても、
携帯はビジネスを、生活を、
結果、
世界を変えた。
それは言うまでもなく、
電話の登場や、
飛行機の登場などと同じライン上にあるわけだが、
インパクトとしては、
最高ランクの発明だと思う。
いまや、
全世界どこでも、
リアルタイムでつながって話せるんだから。
とはいえ、
きっとケータイも、
長い進化の過程で飲み込まれていくのだろう。
ただ思うのは、
ケータイのある時代に生まれて、
70年とか、
80年の寿命を与えていただいたことに感謝し、
暴れまわらねばと思う。
昔の70年と、
できることの量が違うのだから。
昨日、
寝る前にがっつきすぎて寝つきが悪かったので、
三国志を読んだ。
ケータイのない時代のお話。
馬と徒歩の時代のお話。
中国は、
広すぎだし、
情報の伝達如何によって、
形勢が変わっていたこともあるだろう。
ケータイがあったら、
絶対に歴史は変わっている。
ケータイのある時代に生まれて、
70年という時間を与えられた。
さー、
どこまででっかくなれるだろうか。
どうでもいいけど、
なぜ公衆電話は
もっとハイピッチで減らないのだろう。
それこそ、
必要な国でバシバシつかってもらえばいいのに。