ケータイと寿命と三国志 | 1日18時間会社創りに没頭する36歳経営者の日記

今日も、


あっという間に一日が過ぎた。





こういう時間を365回繰り返しただけで、


一年が終わり、


60回とか70回くらい繰り返しただけで、


一生が終わる。





いや、


もしかしたら、


もっともっと、


短いかもしれない。




一日は24時間で、


1440分で、


86400秒・・・




このブログを書くのにかかっている時間は・・・




当たり前のことだけど、


着々と死に向かって進んでいる。




当たり前すぎて、


怖い。










今日で、


amadanaケータイ君と別れて、


早3日目。




どうやら、


帰巣本能はついていなかったらしい。





(会社携帯で対応させて頂いていますが、


ご不便をおかけしている方、申し訳ありません)






ケータイが無いと、


それはそれで、


色々考えることができておもしろい。







ケータイの登場は、


(総論で申し訳ないが)


人間の寿命を、


確実に伸ばしたと思う。










インターネットの登場は、


もはや議論の余地などないが、


“寿命”という有限の時間の中で、


起こせるアクションの総数や、


出会える人の数や、


コミュニケーションから生まれる化学反応の数や、


リアルタイムコミュニケーションの結果進んだ商談の数や・・・



何をとっても、


携帯はビジネスを、生活を、


結果、


世界を変えた。





それは言うまでもなく、


電話の登場や、


飛行機の登場などと同じライン上にあるわけだが、


インパクトとしては、


最高ランクの発明だと思う。



いまや、


全世界どこでも、


リアルタイムでつながって話せるんだから。





とはいえ、


きっとケータイも、


長い進化の過程で飲み込まれていくのだろう。





ただ思うのは、


ケータイのある時代に生まれて、


70年とか、


80年の寿命を与えていただいたことに感謝し、


暴れまわらねばと思う。



昔の70年と、


できることの量が違うのだから。







昨日、


寝る前にがっつきすぎて寝つきが悪かったので、


三国志を読んだ。





ケータイのない時代のお話。




馬と徒歩の時代のお話。





中国は、


広すぎだし、


情報の伝達如何によって、


形勢が変わっていたこともあるだろう。







ケータイがあったら、


絶対に歴史は変わっている。






ケータイのある時代に生まれて、


70年という時間を与えられた。




さー、


どこまででっかくなれるだろうか。










どうでもいいけど、


なぜ公衆電話は


もっとハイピッチで減らないのだろう。






それこそ、


必要な国でバシバシつかってもらえばいいのに。