いつになったら、
泣かずにぐっすり眠れる日がくるんだろうと思いながらの日々。
初めて直面した感情・・・
励みになったもの。
必死だった。
時間が経過しても、
周囲にはまったく気が付かれないとしても
傷はなかなか癒えない。
◆◆◆◆◆
10年近く一緒に仕事をしてきた
同学年の同僚がいた。
とても仲が良かったので、
引継ぎもだいぶ任せたし、
妊娠も流産のことも、上司以外では彼女だけにすべて話した。
彼女は順調に子供が2人生まれて、育ち、
思う存分仕事もできている。
かたや子供を失い、回復するまで仕事のペースも落とした私。
「声が元気そうだ。よかったね」
「身体が回復しているなら、気分転換にご飯行こう」
「仕事がすごい忙しくて大変だよ~。毎晩残業してるよ。」
「残念だったけど、元気になったら、前みたいに飲みに行けるよ。いくらでもサポートする。連れ出すよ。有給とってミニ旅行でも」
本当に、普通に心配をして頻繁に連絡をくれるけど、
その時の私は
「あなたはすべてを持っているじゃない」
と卑屈に感じてしまい
数時間後に
今度はそれがどうしようもない、悲しみに変わる。
「●●さんの奥さん(同い年)は産休に入ったよ」
という何気ない雑談ですらも
「子供を無事に産めて、幸せな産休を取れる人もいるのに」とまた悲しみが襲う。
業務上の接点を思うと(他の友人のように)「元気になったら連絡するね」と距離を取るようなことも言いづらく。
なによりも、
純粋に心配してくれている人に
こんな気持ちを持つ自分も悲しかった。
大好きな大切な友人なのに、
会いたいけど会いたくない、
遠くに行って!と
思ってしまう自分の感情。
それに苦しんだ。
自分の心を大事にしながら、
少し距離を取りながら接する日々。
私の経験と彼女の経験は違う。
わかっていても”とても近い存在”だから
余計苦しかった。
でも・・・
彼女が充実して、幸せで良かった、
ということを思い出せて、
大切な友情を壊さなくて
本当によかった、と思っている。
◆◆◆◆◆
苦しくて、自分一人で抱えきれなかったのと
常に聞き手の夫も辛そうだったので
親族のように近い趣味仲間の友人2人に
死産②の残酷な経験をポツリポツリと話した。
「こんな悲しい経験をしたら・・・
少しは人に優しくなれるから・・・」と私が言ったら
「さくらは、十分、今でも優しい子だよ。
もうこれ以上、優しくならなくていいんだよ」と
「自分の悲しみだけを考えていいんだよ」と
一緒に大号泣をしてくれた。
その彼女たちは、その時
一人はお母さんがステージ4のガンとわかり、
一人はお母さんが余命宣告をされてしまい、
必死で日々を過ごしている。
泣きたいけど、お母さんの前で泣けない、と。
同じタイミングで2人とも。
私も自分の話をしながら、
彼女たちの状況を知って、
涙して、、、、何も言えなくて。
でも、私のためにも泣いてくれて、
なんて優しい人たちなんだろう、と
それに気づかせてくれたことに、感謝した。
「きっと、その子はさくらのことが大好きで、
愛情も伝わっているよ。
そして今も見守っているはず」
辛いなかなのに、
私のためにそういってくれた彼女たちの言葉は
重みがあって、しがみつくように信じて。
こうして、
悲しみを吐き出しながら
苦しい気持ち、
なんで?どうして?
という気持ちをたたみ、
優しいひとたちに助けてもらいながら
いま、前を向いています。
「この曲を聞くと頑張り屋のさくらを思い出すよ」
と仕事で疲れて、落ち込んでいたときに
その同僚がすすめてくれた曲。
とてもうれしかった。
今度はだれかを励ましてくれるはず。
YOASOBI「ハルカ」Official Music Video - YouTube
だれにも見えないところで
がんばってる
君のそばにいられること
それだけで
こんなにほら幸せなんだよ
こみあげてくる
想いはただ
ありがとう
流した涙もほら
今の君につながっている
たくさんの愛につながっている
いつまでも
シアワセで
いつまでも
愛してるよ