昨日の『清濁』についての続きです
清いことをのむことは簡単だけど
濁っていることをのむということは
案外難しいことです
例えば、100人いて
みんなで『頑張るぞぉー!おぉー!』っとなったときに
95人は同じ気持ちになっても
5人は気持ちにすれ違いがあった場合
その5人の気持ちものめる自分であるかと言うことです
どんな場合においても
100:0なんてことはなかなかないと思います
そんな中でどれだけ自分は両方の立場になって考えられるか
自分自身もまだまだ過ぎて
ついつい主観的になってしまう自分に言い聞かせたい言葉です
どれだけの人に助けられているかを想えばきっと見え方がもっともっと沢山変わるだなと思います
iPhoneからの投稿
清いことをのむことは簡単だけど
濁っていることをのむということは
案外難しいことです
例えば、100人いて
みんなで『頑張るぞぉー!おぉー!』っとなったときに
95人は同じ気持ちになっても
5人は気持ちにすれ違いがあった場合
その5人の気持ちものめる自分であるかと言うことです
どんな場合においても
100:0なんてことはなかなかないと思います
そんな中でどれだけ自分は両方の立場になって考えられるか
自分自身もまだまだ過ぎて
ついつい主観的になってしまう自分に言い聞かせたい言葉です
どれだけの人に助けられているかを想えばきっと見え方がもっともっと沢山変わるだなと思います
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