僕自身の病気の話から入ります。

僕の生い立ちは、家庭環境は物凄く自分的には、両親と兄弟の仲も良かったです。そして

正直な話、金銭的には裕福ではないですが幸せで笑顔の耐えない家庭環境です。


そういった良い環境でしたが、しかし

僕自身は、どちからというと(家庭)ではなく

外側(他人)との触れ合いやコミュニケーションの中で

イジメなどの様々な問題がありました。


そして、そこから僕自身病むようになって行く過程で自ら被害妄想を常に持ってしまい、

少しの事でも物凄い大きな事のように感情が起伏してしまうようになっていました。


感情の起伏が起こるということは、昼夜問わず常に起こった問題を悶々と考えてしまい、眠る事も出来ずに葛藤してしまうほど心身共にかけ自ら負担をかけて余裕をなくしてしまっていました。


正直、病気に気づいた高校の(16歳の時に医者にかかって向精神薬を飲み初めるまでは)1日をとうして3時間以上寝る事が出来てなかった記憶があります。


そうして周りを観察し空気を読む余裕も無くなってしまいました。物事を判断する僕自身の視野が極端な方向に傾きました。


当時の(僕自身の頭の中)に残されたのは僕自身の家族の暖かさや、ごく僅かに居る理解力に長けた友人や幼少期から恋愛対象の好きな人への思いだけで、生きている感じでした。


※人を見ても敵か味方としか判断できていませんでした。


僕自身の視野が狭まっていて一番の葛藤の原因は自分を他者と比較していたことです。

それ自体が視野を狭くする原因でもありました。


比較していた理由は、僕自身は病気が理由で判断能力が低く、物事の失敗を繰り返すうちに、

他者と比べ自分自身の能力が低いと自分自身で決めつけ、なぜ自分は人並みに能力を普通に使えないのか?など常に自分を責めていました。


(ただただ僕は、人を傷つけずに迷惑をかけずに優しく真面目に真っ直ぐ行きたいだけなのに)と

当時は、考えていました。


ですが高校の時から医者に掛かり10年弱が立ち、良い習慣をして、良く睡眠をとり、ドクターストップがある間は焦らず無理をせず、自分出来る最低限の事をしなが時を過ごしました。そしてある程度余裕を取り戻してから。

(僕の場合ですが)体から下血してしまうほどあった対人恐怖を取るために、治ると信じて決して引きこもらず、勇気を持って学ぶ姿勢と考え方を受け入れる事から初めようと思いました。


様々な人と関わり(明らか有害な人は避けます)ながら


自分の物事の善悪判断から生まれた否定観念や、他者比較や見栄やプライドから生まれてしまった自分の視野の狭い考えを捨てて、

価値観を多角的に変え視野を広くして余裕を生むために様々ざまな事を今は少しでもコツコツと理解しようとしています。




そしてここからは、考え方が変わって再度、気付いたことですが。


自分が思ってるより自分の事を気にしてる他人は、いないってことです。

そして昔の自分の視野はものすごく狭く小さく余裕がなかったんだな、と思いました。


最近は、同世代の過去の友達再開して話たり、

友達のつてで幼少期から好きな人とLINEを繋ぎ友達になりLINEのやり取りをしていて、これも再度思った事ですが


皆個々の目標と目的があり個々の世界線で生きていて、自分の事で精一杯な人の方が多いなと思いました。(当たり前ですが…)


そして周りを勝手に敵視して孤独な考えになってたのは自分だけなのだなと思いました。


周りには、自分とは違う考え方を持った色んな人がいて面白いなと、思えるようになってきました。


(前提として明らか人を傷つけ攻撃するような有害な人はさけます。自分のエネルギーも有限なので余裕を持つために相手しません)。そしてその人自体の事は否定しません。自分の視野をまた狭める事になるので。


否定的に他者を理解せず物事を見てきただけに、

今頃になってから(当たり前の事を理解し始めてます。)

でも僕のように遅くても、今更でもいいんです。

自分の個々のペースで良いんです。



※なので今の自分の考えは)

自分を客観的にみて人生を余裕を持って楽しんで反省し学んで進歩することが大事だと僕は思います。


自分を、理解してくれた人が良く感じるのと同じで、

理解するということは愛情の一つなのだと思いました。

なので僕も他人を理解し愛情を与えられる人間になる為にこれからも(様々な事を理解し勉強し学んで)いきます。


一呼吸開けて視野を多角的に広く持ち

決してもう自分を自分で壊すことなく。