津波がくると聞いて、私はいまいち実感が湧かなかった。
何故なら私は海とはほど遠い山の中で生まれそだったので、それがいったいどれほど危険なものかも
知るよしがなかった。

「7Mの津波がくる!」

サーフィン好きな上司が顔を真っ青にしてそう言った。どうやら相当でかい津波がくるみたいだ。
その瞬間は本当に地震のショックで津波なんて何が怖いのかさえ理解できなかった。
それと、被災時私がいた場所は海抜40Mに位置していたので、いわば”津波からは安全な場所”だった。
それも相まって、この上司は何が怖くて津波津波と連呼するのだろうと思っていた。
実際、そんな慌てふためく上司を尻目に、残りの作業を余震に揺られながらこなしていた。

そういえば、地震がきた直後の空が本当に気味悪かった。
あれが地震雲というものだろうか、冬には珍しい肉厚な積乱雲のような雲が帯状に長く空に広がり、何層にも重なっていた。


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正直、あのM9.0の地震を体験して数時間は被害状況もよくわからず、
(あー大きな地震が来たなー、こんなの初体験だー)ぐらいにしか考えていなかった。
周りにも建物が少ない。目に見える範囲で地割れが起こってるわけでもない。本当に強い揺れを感じて、
”ただ地震に揺られただけ”だった。
しかし、午後5時を過ぎて私の状況は一変する。仕事を終えて仕事場を離れて車を走らせた私の目に映った光景は、信じがたいものだった。
朝通ってきた道は陥没し、古い家屋は全壊し、コンビニには食料や水を買い求める人々の長蛇の列ができていた。
一体これは何だ?
ここで私はようやく今回の地震がとてつもない惨事だと気づく。遅すぎるが…。
変わり果てた通いなれた道を走り、宿泊先のホテルに戻った。
ホテルは真っ暗だった。ライフラインがすべて絶たれていたのだ。
二ヶ月も滞在しているせいか、顔なじみになったフロントのおばちゃん。
そのおばちゃんの顔がひきつっていた…。


続きはまた明日にでも書こうと思います。
お読みくださりありがとうございます。

現在南相馬市は陸の孤島と化しています。被曝を恐れたトラックの運転手が物資を運んでくれないそうです。
どうか皆さん、ほんの少しでも被災地に何かできる事をしてあげてください。
私も今それを考え実行しています。
2011年3月11日。私はその日、仕事で福島県南相馬市にいた。
仕事の都合で年初からしばらく滞在していた。海と馬が印象に残っている。潮風と晴れの街。

まさかこの私が震災で被災するなど、考えもしなかった。
それほど唐突に、地震はやってきた。

その日も午前中はよく晴れていた。寒暖は厳しかったが、太陽が暑かった。
午後三時から雪の予報がでていたため、仕事のスケジュールを詰めてこなしていた。
午後二時ぐらいから予報どおり雲行きが怪しくなってきたが、雪が降らない。
私は車を降りて、作業をしていた。仕事上、外の作業が多いので雪に降られると仕事に支障をきたす。
雪とバッティングしないよう祈りながら作業を進めていた。しかし、雨雲はあれど雪がふらない。
もう今すぐにでも降ってもおかしくない空なのに。変だなぁと感じていた。雲の向こうに淡い太陽がいた。

そして午後二時四十六分。突然激しい縦揺れを感じた。冷静に縦揺れを感じる事ができたが、数秒後横揺れに変わり、私は少しパニック状態に陥った。
激しい地鳴りと、バウンドし続ける車。目の前の建物は今にも倒れそうな勢いで揺れている。

「地震だ!」

私はやっと叫んだ。そのとき私の上司が側に二人いたのだが、二人とも冷静に揺れをやりすごしていた。
幸いにも倒壊する恐れがある建造物が頭上や側になかったので命拾いした。
揺れはしばらく続いた。本当に長く揺れていたと思う。車が横に倒れてしまわないか心配だった。
しばらくして揺れが収まると、上司が携帯を開き、地震の規模や被害を確認した。
そしてこう叫んだ

「津波がくるぞ!」


…続きはまた書きます。
亡くなられた被災者の方々に心よりご冥福をお祈りいたします。