山々の間を抜けてきた、緑の匂いのする風が本の頁をめくる。
夏鈴は縁側に座り、本を読んでいた。
こんな田舎での休日の過ごし方は、近所にたった一軒ある古本屋で買った本を読むくらいしかないのだ。
時おりセーラー服のカラーがパタパタとなびく音が心地よい。
「夏鈴。」
家の中から名前を呼ばれ、ドタドタと畳をふむ音が聞こえた。
「夏鈴ってば。」
無視をしていたら、大きく肩を揺さぶられた。
「ん。」
短く返事をして振り返ると、そこには問題集を抱えたひかるがいた。
「数学教えてっ!」
「ん。どこ。」
「ここ、どうやって書くんだっけ」
「ちょっと鉛筆貸して」
夏鈴の白い手に握られた鉛筆が、ノートの上を走り、真っ直ぐな軸と、美しい曲線を描き出す。
「ここが極大、ここが極小。」
夏鈴は、板張りの縁側に左手をつき、トントンと一定のリズムを刻みながら、点線を書き足す。
「接線の式はこれ。」
夏鈴の細い指が参考書の頁をなぞった。
「なるほど!わかった、ありがとう!」
ひかるは輝かしい笑顔でお礼を言うと、また奧へ戻って行った。
特に返事はせず、読みかけの本を開こうとしたところ、ひかるの声に遮られた。
「そういえばさ、担任が夏鈴に総代任せたいって言ってたよ。」
「やらへん。」
夏鈴がそう言うと、奥からひかるの笑い声が聞こえた。
「言うと思った。(笑)」
夏鈴は昔から面倒な事は避けてきた。大変な仕事を承けても自分の利益にならないことはあまり気が乗らない。
「夏鈴ってそういうの頼まれがちだけどやらないよね。」
「面倒やから。」
「そういうとこも夏鈴らしいね。」
夏鈴が本に視線を落としたとき、ひかるが再び口を開いた。
「でもさ。」
庭の松にとまったメジロが鳴いた。
「なんで私に数学教えてくれるの?」
夏鈴は本を開いたまま顔を上げ、メジロを眺める。
「どうして?」
夏鈴はひかるの問いかけを聞き流しながら、仰向けに寝転んだ。
夏鈴は右手と左手の指を組み、ぐーっと空に引き上げる。
一番上まで引き上げたところで、組んでいた指を外し、ゆっくり下ろした。
ひかるはそんな夏鈴の姿を、頬杖をついて見ている。
「私はね、夏鈴のそういうとこ好きだよ。」
「ふーん。」
天井を見つめる夏鈴から素っ気ない返事が返ってきた。
「恋愛的にね。」
ひかるがそう付け足すと、夏鈴は上半身を起こした。
夏鈴はひかるに背を向けたまま、またもや庭を眺めている。
「夏鈴、顔みせて。」
ひかるが部屋の中からそう呼びかけると夏鈴は振り向いた。
ひかるから見えた景色は、初夏の風になびいた髪の向こうに見える、ひまわりのように純粋に輝く笑顔だった。
ふたりの夏はこれからである。
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