アニメ「呪術廻戦」シーズン2の第1話「懐玉」より。
星漿体(せいしょうたい)である天内理子(あまないりこ)保護に向かう、五条悟(ごじょう さとる)と夏油傑(げとう すぐる)との電話での会話です。
夏油:前から言おうと思っていたんだが
一人称 “俺”は やめた方がいい
五条:ああっ?
夏油:特に目上の人の前ではね
天元様に会うかもしれないわけだし
“私” 最低でも“僕”にしな
年下にも怖がられにくい
五条:はっ!やなこった
すでに社会の風に擦れきってしまった私にとって、夏油の言っていることは、とてもよく分かります。
高校生なのでまだ早いような気もしますが、すでにプロの呪術師と同等の活動しており、社会人として振る舞う必要があるからこそ、夏油が忠告していると思われます。
とはいえ、この会話自体は友達同士の会話であり、ここで指摘したとしても素直にはなれないでしょう。
いままで“俺”と言っていた友人が、突然、“私”とか“僕”とか言いはじめたら、ちょっと気持ち悪いですよね😅
この会話を聞いた時、昔テレビを観て感じたことと一致したのを思い出しました。
それは、「機動戦士ガンダムユニコーン」のアニメ制作に関するドキュメンタリー番組です。
原作者である福井晴敏さんが、インタビューに応えている時、一人称が “俺” だったんです。
福井晴敏さんと言えば小説家ですが、いまやガンダムファンにとっては公認のガンダム作家です。
福井さんのデビュー作「川の流れは」や江戸川乱歩賞を受賞した「Twelve Y.O.」を読んで知っていたため、ユニコーンの原作者だと知った時、驚くと同時に嬉しくもありました。
福井さんは組織人ではありませんし、世間にどのように思われようが関係なく自分のスタンスを貫く人なのでしょう。
しかし、作家としてすでに有名人であり、メディアの前で自分のことを “俺”と言ったことに対して違和感を感じたのです。
ガンダムが好きな人に悪い人はいないと思っていますし(笑)、福井さんの見た目や話し方から、いい人であることは明白です。
そんないい人オーラを醸し出している福井さんが、一人称に “俺” を使うことが似合わないと、勝手に感じただけかもしれません。
誤解が無いようにお伝えすると、けして一人称を “俺”と表現することが悪いわけではありませんし、福井さんをディスっているわけでもありません。
むしろ、自分のスタンスを貫くことは、生き方としてリスペクトすべきだと思っています。
少し脱線しますが、福井さんの小説「終戦のローレライ」(映画版タイトルは「ローレライ」)は、第二次世界大戦中、日本が極秘に開発した無敵の潜水艦をめぐるお話です。
その潜水艦の名前が “鋼鉄の魔女”だったり、正確に敵の位置を補足できる少女はニュータイプそのものだったりと、ガンダムの世界観で溢れています。
ガンダム好きな人は楽しめると思います。
一方で、本当にすべての場面や人に対して、一人称を“俺”と表現するのを貫き通せるのか、という疑問があります。
言葉づかいは礼儀・作法の一つとして、どういう時に使うべきか、私たちはTPOに応じて使い分けるということを学んで知っています。
たとえ誰にも頼らず、自分の能力だけで稼いで生きているとしても、人生の中でお世話になった人や尊敬する人、憧れの人など丁重に持てなすべき人などがいるはずです。
奥さんや旦那さんのご両親などもそうです。
そういう相手との会話では、“私”や“僕”と表現するのではないでしょうか。
それなら初めから無理してツッパらなくていいのに、と少し残念な気持ちになります。
若気の至りはあるとしても、やはり社会人だったら、公の場での発言や初対面の人との会話では、相応しい言葉づかいをすべきだと思います。