岡崎見散歩

まずはここ 岡崎🏯と龍城神社


その前に
🏆は、2週連続で






本題に戻り
岡崎公園🈶に🚘を止め
手水舎でお清めを
鳥居をくぐり境内へ
本殿へ
境内で何かやってました

神額下で参拝を

拝殿天井には🐲様が

社務所で

書き込み御朱印をお願いしました

巫女さんから引き換え🎟️を頂き
色の神橋を渡り
五万石(ごまんごく)ふじ

藤棚が沢山

動画で
1945年の岡崎空襲で焼け野原となった境内で、住民たちを元気づけたいと当時の住職が植えた
丁度満開です
白ふじを通り抜けると
松平広忠公(家康の父)廟所が

囲い土壁が5段なのは

土壁の段数にも格が有るとか


徳川家康公父君 松平広忠公御廟所
(岡崎市指定文化財)
この御廟所は、家康公が父君供養のために創った 国内有数の格式と規模を誇る霊廟で、文化財の 指定区域だけでも約四百畳の広さがあります。 広忠公は天文十八年(一五四九年)三月、岡崎城で暗殺され、亡骸はこの地に埋葬されました。 家康公は当時八歳、人質として尾張にいましたが、 同年十一月に参詣し、墓上に一株の小松を植え、 この松に松平家の繁栄を願い託しました。
永禄三年(1560年)、桶狭間の戦の後、岡崎に 帰った家康公は城主となり、父君供養のため寺を創建。 手植えの松が緑深く東方に立派に伸長したのを見て、 「我が祈念に應ずる松なり」として、「松應寺」と 名付けました。

江戸幕府を開いた家康公は、慶長十年(1605年)、 広忠公五十七回忌にあたり、本堂の造営などと共に 御廟所の本格的な整備や修復を行ないました。 家康公をはじめ秀忠公・家光公など歴代将軍が参詣し、 各将軍が御廟所の整備に力を入れました。
江戸時代以来の大規模な修復を、令和元年より三年かけて行ない現在の姿になったと


廟所から戻ると 

赤い袴のお嬢さんが

太子堂前ライブの告知を

11:25~
 パールピアス(ユーミンカバー)

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