夫は趣味が山ほどありますが、その一つにゲームがあります。普段は何事に対してもおおらかで「ま、いっか」のスタンスを貫く彼ですが、ことゲームに関しては違います。

 

はまれば中学生のような集中力で、ぶっ続けでプレイする夫。

特に「死にゲ―」といわれる難易度高めのゲームに挑戦する彼の姿勢には、近代装備に刀で挑む幕末武士のような不屈の精神を感じます。

 

今年2月にはエルデンリングという死にゲ―マニア御用達のゲームが発売され、夫も例にもれずどはまりしていました。私もそばでプレイを見ていましたが、このゲームなかなか面白そうで試しにネットで検索すると評価もいい。Yotubeには国内外のゲーマーたちがさまざまなプレイ動画をあげていて、本当に人気なんだと思います。

 

夫がボスを倒せずに行き詰った時だったか、クリアして余韻に浸りたいときだったか、エルデンリングをプレイしている海外のゲーマーのプレイ動画を夫婦で見ていました。

海外の方は日本人より感情表現豊かなことが多く、見ていてなかなか面白い。

 

一番驚いたのが、ゲーム内で自分のキャラクターが思いもよらぬ方法で死んだとき、数名の海外ゲーマーさんは一瞬驚いた表情をした後、さも面白そうに笑い出したんです。

 

あと一撃で倒せるという直前に死んだとき

勝ったと思った瞬間とんでもない一撃を食らって死んだとき

一瞬の衝撃の後、HAHAHAHA!!と笑い出す海外ゲーマー。

 

あぁ、この人は私だったらイラっとしてコントローラーを投げ出した後夫に当たり散らす出来事を、とんでもなく笑える冗談として、笑っているんだろうなと思いました。

 

おかしな話、私はそれを見て、私も同じように笑いたいと心の底から思ったんです。

 

メンタルヘルスのせいにしてはいけないーとは思いますが、私の人生はある時期を境にハードモードに。

周りの人よりつまづくことが目に見えて増え、努力が報われないように感じることも、現状が受け入れられなくて真っ暗な気持ちになることも多々あります。

 

でも、高い壁にぶつかったとき、努力の甲斐なく報われなかったとき、

私はあっけらかんと笑いたい。

まるで一つのブラックユーモアを聞いたように、怒りや悲しみにのまれて落ちるのではなく、明るく笑い飛ばしたい。

 

そんなことを思うんです。

 

もちろんそれは、私にとってはかなり難しい事ですが、それでもそれができるようになりたい。

 

人生はやり直しのきかない一つの長いゲームみたいなものかもしれません。

たとえ、ハードモードしか選択できなくても、素寒貧で形見なしでも―他の人より成長曲線低くても。それこそ一つの冗談みたいに、楽しみながらプレイしたい。

 

笑いたいし、

笑い飛ばしたい。

 

そんなことを思います。

七夕でしたね。

私は昔から七夕のイベントが好きでした。

7月、朝登校すると、笹がクラスの隅に鎮座している非日常感。天の川や提灯飾りなど作らなくても、めいめい私欲の限りをしたためて短冊を飾れば笹も立派になるもので、見ていてちょっと面白い。

 

一番記憶に残るのは高校3年生の教室に飾られていた「新堂先生(仮名)に人間の心が戻ってきますように」と書かれた短冊で、当時生徒たちからターミネーターと呼ばれていた先生がその短冊を読みいくらかでも鋼鉄のハートを動かしたのか、気になるところでした。

 

あれから時がたち、おばさんに片足を突っ込む年齢になった私は、今年二つの短冊を書きました。

 

一つ目は

赤ちゃんが無事元気に生まれてきますように

二つ目は

メンヘラが治りますように

 

もちろん笹など用意はなく、夫が育てている二十数センチ程のガジュマルの鉢に願いを託した我が家。短冊の数は一人二つが限界でした。

 

でも、3つ目が書けたなら。

「メンヘラでも楽しく、自信を持って誰かのために働けるようになりたい。」

と書いたと思います。

 

時々ブログでも書いている方を見かけ嬉しい気持ちになりますがー私も例にもれず、

いつかこの苦しい経験を乗り越えて、同じように苦しんでる人の助けになるような何かをしてみたい

なんて、思う事があるんです。

 

今は正直助けられる側だし、自分の事で精一杯。

でも、10年後、20年後、もしかしたら30年後。

 

自分を誇れるような生き方をしていたい。

誰かの役に立てる自分でいたい。

 

そんな事を思うんですよね。

家族のため、友人のため、あるいは見知らぬ誰かのため...もちろん自分のためを含めて。

 

七夕の夜は、珍しくまあまあいい天気だったので、夫婦で部屋のカーテンを開け夜空を見ることに。

 

案の定、街の明かりで星一つ見えない空。織姫も彦星も、夫婦水入らずでひっそりと会いたいのかもしれないーそれならばと、私達夫婦は月に向かって願掛けする事にしました。

 

一つ目の願い、二つ目の願い、とお願いして、

三つ目、例の願いが心に浮かぶ刹那、夫が横で、

「競馬があたりますように」

と声に出したので、私も脊髄反射的に

「125万円もらえますように」

と口にしました。

 

結局は金。それもまたあり。

ほんとの願いは心のうちにしっかりと鎮座しています。

 

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

はじめまして。

終わりの見えない船酔い(つわり)を経験中の、ごはんです。

 

写真を撮るのが好きで、写真ブログにしたいなと思ったり、

心理学を勉強中なので、アウトプットブログにしたいなと思ったりしていたのですが、

結局それらをすべて含めた日常系日記(随筆のようなエッセイのような)を、書いていきたいと思います。

プライベート、仕事、含めて全方向型病名クローズ人間なので、日常については身バレしないようにぼかして書いていきます。

 

確か、26歳の時。

統合失調症と診断され、はや数年。

 

涙あり、笑いあり、つまずきあり―山あり谷あり人生は誰しも経験するものなのでしょうが、私に至ってはその起伏がジェットコースターの体をなしつらいことが多いです^^;

 

実際の出来事に、ジェットコースター並みの起伏があるわけじゃないんだと思います。

被害妄想と、認知機能障害。不安を感じやすい性格と、自己肯定感のなさ―病気を隠して生きるもどかしさ。できない悔しさ。

そういうのが重なって、ゆるやかな斜面が急斜面に、下りの道が崖下りのように―普通の人が楽しく歩ける道のりを、北アルプスの剣岳や富士急のええじゃないかみたいに感じるんです。

 

それでも、できることなら、

今後の人生がジェットコースターにならないように、病気自体と、病気の素因になった自分の考え方や認識の歪みを少しずつ直していきたい。

仮に再びジェットコースターに乗ることになったとしても、その起伏を笑いとユーモアでできるだけ楽しみたい。

―なんてしゃちほこばって、思ったり。

 

教えてもらった言葉ですが、いい経験もつらい経験も、大事に味わっていきたいです。


ここまで読んでくださってありがとうございます。