目的地までまっすぐに続くみちも、

ぐねぐねと曲がりくねった荒い道も、

目的地についてしまえばどちらもいい道だったと思える気がします。


また間が空いてしまいました。

私は一人で育児したくないと駄々をこねたり、PMS症状でイライラしたり、心理学の勉強をしたり、カウンセリングを受け始めたりと、ゆるくけれどバタバタと過ごしていました。



私は自宅から大通りに出る際、近くの細道に行くのはちょっと怖くて遠回りして出かけます。


いつものように遠回りした先で、工事で先に進めずさらに迂回して進んだある日。


こんなに遠回りを重ねるとは、

なんだか私の人生みたいだな


と思て、ちょっと笑えました。



ロケットみたいにまっすぐ進んで行く人もいれば、

箱根の七曲りみたいにぐねぐねと進む人もいる。


でも、どんな回り道でも悪路でも最終的に目的地に到達できれば深い満足感を感じられるんじゃなかろうか、なんてそんな事を思ったり。


まっすぐ続く一本の道は気持ちいい

曲がりくねった道は味がある

穴ボコだらけでつまづく悪路も慣れてくれば面白い


人生という長い道のりの一つの目的地は


権威を持つ事でもなく

たくさんお金を得る事でもなく

車や家、肩書きや社会的地位を持つことでもなく


幸せでいられるか


なんじゃないかと思う。


その一つの目的地の存在を、この病気が気づかせてくれたのだと思う一方で、なおも病気を恨めしく思う事もある私の生き様は、


遠回りに遠回りを重ねるような回り道だと思ったり。

いつかその回り道も私らしいと思たら、素敵なように感じます。



最後まで読んでくださってありがとうございます。



私は私。

あなたはあなた。

 

そう、心の底から思えたら、ずっと楽になるような気がしています。

 

 

また随分と時間が空いてしまいました。

 

仕事をしてみようかと考えてみたり、

安定しない症状と保育園のこと。


さまざまに模索してみたところ、

 

『今は子育てに専念するか』という気持ちの落としどころに収まって、

緩やかに日々を過ごし始めたところです。

 

 

先日旧友の集まりに参加しました。

30代を過ぎてくると仕事に脂がのってきたり、仕事をしながら子育てに精を出していたり。

 

様々な方面で精力的に活動している友人たちの話を聞いていると、

昔自分が思い描いていた自分の理想像と重なって、嬉しくもさみしいような気持ちになりました。

 

私は自分の病気を多方面に伏せて暮らしており、その結果いいことも、悪いこともあります。

 

いいことか、悪いことかわからない、一つ感じることとして、

病気を伏せていると、多くの人からその人が感じている『普通』を無意識に押し付けられてしまうなぁ、と感じます。

 

それは、私でもやっていることでー病気になってもなお、私は昔思い描いていた『普通』であることを求めてしまっています。

この決して普通でない「普通」は私が成長する過程で周囲や何かからゆっくりと吸収して形作られてきたものです。

でも、その『かつて私が思っていた普通』は今の私には離れた場所にある、と言う事も分かっている。

 

今は今で十分幸せ。

 

と思う一方で、

 

あれがしたかった

これを続けたかった

 

昔、あんなに頑張れたのに、

みんなは、あんなに頑張れるのに、どうして、自分はこれしかできないんだろう

 

とも思う。

 

この私の気持ちの落としどころは、『私は私』と思う処にあるのかもしれません。

 

 

『普通はこうするよね』

『みんなこうしているから』

 

それは実際その通りかもしれません。

でも、そういう言葉を鵜呑みに合わないことを続けた結果、私は病気を発症してしまいました。

 

普通は大企業をやめないよ、といって転職しないことも、

みんな結婚しているから、といって慌てて結婚することも、

 

人によっては正しい選択になるかもしれないけれど、

それで本当に幸せになるかは誰にもわからないことだと思います。

 

だったら、世間一般の普通を念頭に置くとしても、最終的に決めるのは『私』である必要がある。

 

『みんなこうするよね、でも私はこうする』

『普通はこうだよね、だけど私はこうしたい』

 

選択の手綱を世間にゆだねずに、

選択の責任を自分に引き寄せることで、

 

もしかしたら私はもう少し自由に生きられるのかもしれません。

 

『私は、私。』

『あなたは、あなた。』

 

なかなかそう思いづらい文化の中で、私はもう少しだけ強くそう考えて生きていきたいーなんてことを芯のないながら思ったりしました。



最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

なかなか治ってくれないけれど

治るって

いいことだなぁと思います。

 

前回から間が空いてしまいました。

産後体調の悪い日が続くときがあり、低空飛行がもっと低空ーいや地面にのめりこむかのような日が続き、その中でいろいろ試行錯誤しているうちに時間が空いてしまいました。

 

今回良くなったきっかけは、お薬を増やしたこと。

 

低用量の薬で続けていた自分としては、すこし複雑な気持ちにもなりますが、薬を増やしてからきっかり2週間後(向精神薬は薬の効きが遅い場合があります)に効果が現れはじめたので、早めの受診や薬量の調整も大切なのだなと思わされました。

 

 

徐々に経過が小回復し、

できなくなっていたことが再びできるようになると、

 

私は、始め出来ていた時には感じなかった喜びを感じたりします。

 

再びキッチンに立って料理ができる喜び

再び本が読める喜び、授業が聞ける喜び

家事や育児ができるありがたさ

家が、安心できる環境であるありがたさ

 

走った後、上がった息が徐々に整ってきて、身体が以前の状態にもどってく、

そのときになんだかいい気分がするように

 

治るというものは、当たり前だった景色の心地よさに気付かせてくれるものであるみたいです。

 


最後まで読んでくださってありがとうございます。