2018東北② | 海吉の明日こそ大漁

海吉の明日こそ大漁

釣りして

娘と遊んで

食べて

飲んで

仕事して


そんな海吉の日常

いつか伝わりますように

学生時代東北に住み
当時は1番近くのコンビニまで45k峠を通って約1時間
今では考えられない
でもその分多くの仲間が出来
卒業して20年以上
今でも全国に多くの仲間がいる
自分の中では大きなターニングポイントになった
そんな思い出の地が震災でなくなった
 
あれから7年
いろいろ考える
そして年に1,2回足を向ける
忘れない為にも…
もちろん今回も寄る
 
道路もバイパスが出来便利になる
でもその分忘れられる場所も多い
 
 
 
仲間達が住んでいたアパートの跡はいまだ草っぱら
 
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反対側は大きな防潮堤
 
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津波で流され人が住んでいないこの場所に
こんな大きな防潮堤が必要なんだろうか?
 
去年来た時はまた復興の為の工事の人達もいたが
今は撤収していた
 
当時からあったスタンドの人と話すが
復興需要が無くなったら…
 
 
津波で流された場所にぽつんと立っていた
津波の写真が展示してあった場所
 
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当時の様子の写真が沢山掲示してあったが・・・
 
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ここも取り壊されるそうで中は空だった
 
その近くにひときわ目を引く建物
 
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もしやここに移動?
なんて思って覗いてみるが…
 
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違った
 
途中保育園小学校があった場所
移転先は丘の上
綺麗な園舎校舎
そこから海が防潮堤越しに見える
この地での保育ってどんなんだろう
 
 
バイパスを途中で降り
陸前高田
 
5階までのマンションの4階まで波がきている
 
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まだ当時もまま残っている
 
奇跡の1本松
 
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今はレプリカだけどね

 

 
 
当時のままの中学校
 
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何処に行っても巨大な防潮堤
 
その裏には大きな空き地
大きな重機などを使って作った盛り土
もう7年経って他の場所に住んでいる人達が
これからここに人が住むのだろうか?
 
毎回走りやすくて常磐道をつかうけど
東京から200kちょっとしか離れていない場所に
人間が住めない地域がある
 
当時福島のある保育園の園長先生と話したことがある
津波は0からのスタート
でも私達は-からのスタート
この地で保育園を続けることの意味
必要性と重大さ
預けられる子ども達の未来
自分達はあと2~30年でいなくなるが
子ども達の未来はあと6~80年続く
誰が保証してくれるんだろう
また某大学の教授もどんぐり支援などを行っていて
いろんな話をした
そんな記憶が蘇る
 
そんな中気仙沼は活気がある
海の見えない生活は考えられない
と防潮堤を作らないと…
港周辺の開発も盛んだ
自治体の違いだろうな…
 
 
今回の関西の台風、北海道の地震
電気って大事だけど必要以上の明るさって?
節電で生活できるならそれでいいのでは?
なんていろいろ考えてしまう
復興とか難しいことじゃなく
遠いけど身体が動くうちに出来ることを
現地に行って美味しい物を食べて飲んで笑って
足を運ぶことの意味ってあるよね
また来年もこの地に来るよ