朝からあちこちのテレビで特集をやっている。
そして改めて3年前のことを思い出す。
いつもの避難訓練とは違いリアルだった。
他のブログの当時の日記を読みかえす。
子どもを預かるだけにいろいろ問題もあった。
揺れ自体は大きかったけど大きな被害というのもなかったが
(水槽部屋は割れはしなかったけど大変だった)
まずは保護者がお迎えに来れない。
交通網は完全に麻痺し連絡もとれない。
ただひたすら待つしかなかった。
不安になる子供達。
そしてテレビから流れる映像。
いつもなら「大変だな」な感覚だったけど、
今回は自分が学生時代を過ごした見慣れた風景が映し出される。
「あ、あのビル」
「あの看板…」
自分の住んでいた町、過ごした町が波にのみこまれなくなった…
今までとは違う感情。
学生時代過ごした岩手県三陸町。
学食のおばちゃん、大家さん、商店の人達、
仲間の奥さんは大船渡出身を何人か居た。
心配だ
こっちは停電などはなかったのが幸いだ。
最期の保護者がお迎えに来たのは21時。
学校の先生だった…
同じように生徒のお迎えが来ないと帰れなかったという。
その子の姉が学童にいたのでお互いが不安にならないように姉を迎え行ったのを思い出す。
いつか行こうと思いつつなかなか足が向かなかった東北。
去年九州の仲間の上京で三陸へ。
変わり果てた町。
映像で流れた痕跡が残る。
住んでいた場所も更地になり、
卒業式をした会館も2階まで窓がない。
知っている人も数名亡くなってしまった。
学校自体は直接的な被害はなかったらしいが、
学部ごと移転。
がらんとした校舎。
自分の人生の転換期にもなるような3年間だった。
当時は1番近いコンビニまで峠を使って45km
しかも24時間営業ではなかった。
食事も買うより作った方が早く、
仲間同士であちこちの部屋に転がり込んだ。
当時の仲間は本当に同じ釜の飯を喰った中。
今でも全国に散らばる仲間のほとんどがこの時出会った。
当時の記憶がよみがえる。
そして気仙沼の仲間のところへ
住んでいた周りは何もない。
ただ生きていたことに感謝。
復興…
なかなかすすんでいいないよね。
でも何から始めて何をするかがわからない。
住んでいる人達は今も必死だ。
仲間に言われたこと…
もう離れて数年経つけど、
顔を見た瞬間に当時に戻れる。
楽しいだけじゃなかったけど
このひと時が楽しい。
遊びに行くことは出来ないけど
こっちに来てくれたことが嬉しい。
その言葉が心に響いた。
先日だけどFBで校舎の解体の写真を見た。
時間は過ぎていく。
震災は津波の被害だけではない。
ある福島の人と話した中で
津波の被害は0からのスタート。
でも放射能の影響のある地域はマイナスからのスタート。
いまだ住む事の出来ない地域がわずか数00km先にある。
テレビでも放送されない事実。
手のつけられない現実もあることを気付かなくてはならない…。
計画停電あった。
不便であったが、この生活をずっと続けている人達がいる。
今こうして普通に生活できることが普通じゃないってこと。
明日は我が身ではないけど
今が幸せであり
今を一生懸命に生きなくてはいけないよね…
そして今あらためて自分が出来ることを問う日なんだなぁ