今日は3月11日。
あれから1年。
早くも感じるしまだ1年とも感じる。
どこも震災のテレビをやっていたなぁ…
今までも国内の地震災害などを見てきていたが、
神戸の時は上司の身内や取引先の方などが被災していた。
今回の震災は自分の住んでいた町が被害にあり、
仲間や知人、お世話になった方が亡くなったり、
学生時代住んでいたアパートなども跡形もなくなくなっていた。
1年前の当日のことを今鮮明に思い出せない…
ちょうど昼寝の時間で子ども達を起こし…
それからは??
きっと必死だったのか覚えているのはお迎えを待つ間、
テレビから流れる津波の映像だ。
そして22時近くに最後の園児のお迎えがあったのを思い出す。
その後原発が大変なことになっていた。
計画停電もポリタンクに水を溜め、ランタンやロウソクを用意したり。
当時子ども達にも「地震になった人達は毎日こういう生活をしていたんだよ」
なんて説明もしていた。
今となっては「そんなこともあった」という感じになってしまっている。
放射能も東京の浄水場から検出され問題に…
皆水を買いあさり自分だけよければいいって…
でもね。
これってどうなの?ってずっと思っていた。
我々東京の電力を補うために福島に原発を作り、
その原発が原因で地震や津波で家などを失っていないのに、
そこに住むことも出来ない。
そして復旧のめどもついていない…
そこに住んでいた方たちはどうなるんだろう。
なのに、我々は普通に生活をしている。
この矛盾。
かつて(今もか?)海外に進出して現地の生活を犠牲?にしてでも開発をしてきたのに似てない?
自分だけよければいいのか?
それも同じ日本で…
震災のガレキの問題もそう。
何故反対するんだろう…
少なくとも同じ国内で住む場所も困っている同じ国民がいるのに…
政治かも安心安全をうたうなら、
国会を原発の真横にでも作って生活すればいいのに…。
対岸の火事ではないのに。
今盛んに関東の地震の予想などをやっているがまだみぬ先の不安を煽るのか?
それより今の現状をみてやるべきこともあるだろうに…
電気料金も1000円?2000円?あがってもいいじゃない。
それで生活が困るなら節電すればいいんだし、
それで原発ではなく自然エネルギーで発電所の方が安心して暮らせるならいいじゃない。
支援や最終的には自分達の生活の安心に繋がるととれないのかな…
メディアも今日だけこうやって放送するんじゃなく、
継続が大事だともうんだけどな…
今日もテレビで住んでいた三陸町の駅の映像が映し出された。
いまだガレキが積み重なり住んでいた時の面影はまったくない…
普通に生活が出来ることのありがたみ。
そして普通がいつ普通にならなくなるのかわからない。
今を生きる…
これから先をいろいろ考える1日でした。